2019年2月8日金曜日

「変人」という生き方



先月、哲学者の梅原猛さんが亡くなられました。
子供の頃から梅原さんの本は沢山読ませていただいて、
京都新聞での連載も、いつもとても楽しみでした。

”世論”と呼ばれるものとは、どこか違う視点を持たれていて、
私には深く頷けるものであったり、
とてもシンパシーを感じる事が多かったのです。

NHKで「独創とは勇気である」という追悼番組が放送されましたが、
奇人・変人と呼ばれながら、様々な仮説を立て、検証し、
時に大胆な仮説は大空振りする事もありましたが、

ご自身の仮説が間違っていた時には、
「間違った仮説を本にしてしまったことを
大変恥ずかしく思います」と率直に書かれた本を、
新たに出版されるという「誠実」に
「ああ。これが梅原さんやなぁ。」と
胸を打たれました(´;ω;`)。
そんな事をされる方を、私は他に知りません。

好奇心の塊だった梅原さんの様々な論説文は、
いつも専門家の方々には批判されたり無視されたり、
議論の火種になったりもしましたが、
その姿勢は、「専門家だけのもの」を、
「一般の人々にも知らしめる」機会でもありました。

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先日の京都新聞では、同じく哲学者の鷲田清一さんが
梅原さんを偲んで書かれていたのですが、

ある日、後輩が、自分が抱え込んでいる不安について
梅原さんに聞いてもらいに自宅を訪れた際、
親身に頷き、助言もした梅原さんは、
その間も大好きな大相撲のテレビ中継を見て、
更に原稿も書き続けていらっしゃったそうです。

鷲田さんは書かれます。
「これは、「したいこと」「しなければならないこと」
「してあげたいこと」のどれもおろそかにしないという、
梅原さんの矜持をこそ物語るものではないかと。」

「こういう懐の深さは、梅原さんの出自と無関係ではない。
婚外子として生まれ、1歳で母を喪い、
伯父夫婦に預けられて育った梅原さんは、
≪欠乏≫に疼く人でもあった。
だから幼くして親を喪う、世の辱めを受ける、
あるいは身を棄てる、人を殺めかける、
そんな深手を負った人への共感は止めを知らなかった。」

「「私には、呻きつつ求める人たちしか是認できない」という
パスカルの言葉を地でゆくように。」

(私は人間をほめると決めた人たちも、
人間を非難すると決めた人たちも、
気を紛らすと決めた人たちも、みな等しく非難する。
私には、呻きつつ求める人たちしか是認できない。
「パンセ」より)

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「哲学」は自分自身に対して、
人間とは何か?生きるとは何か?という
根源的な問い掛けをし続ける事でもあると思います。
目に見えない、大きな何かを追い続ける事。

それは学者さんだけのものではなく、
「人」である全ての人のもの。
生きとし生けるもの、全てのもの。

梅原さんも含め、京都には「奇人変人」と呼ばれながら
愛される方々が沢山いらっしゃいます。
先人たちが作ってきてくださった、そんな道のお蔭で、
私みたいな変人も堂々と、「変人」を名乗れるのだと
思います。

「独創とは勇気である」


梅原猛さんが亡くなられた1月14日の空です。
ゾウのような雲が浮かんでいたり


鳩まみれの雲があったり(笑)

美しい日でしたね(*´▽`*)。








じゅごんろ~どnote

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