2018年12月9日日曜日

ドラマ「ぬけまいる~女三人伊勢参り」を観て思ったこと。


ぬけまいる~女三人伊勢参り」は、
朝井まかてさん原作の時代小説が
ドラマ化された作品です。

生活の全てを放り出し、手形もお金も持たずに
突如集団でお伊勢参りに行くことを「抜け参り」と呼ぶそうで、
京都の子供たちが親の許しも得ずに行ったのが
始まりという説があります。

現代より娯楽も情報も少ない時代に、
抑圧された人々、子供や女性の抜け参りが多かったそうです。

ドラマの中の、幼馴染みである三十路(みそじ)の女性三人も
それぞれに家庭や仕事にモヤモヤした気持ちを抱え、
えいやっ!と家を飛び出しお伊勢さんを目指します。

情緒や人情が描かれ、笑いあり、涙あり、
時代劇特有の痛快な場面もあります♪

昨日の放送では大店(おおだな)のご亭主が
余命幾許(よめいいくばく)もない奥様と、
幼馴染みのご夫婦と共に旅をされている時に
主人公である三人の女性と出会います。

幼馴染みのご夫婦は裕福な生活をされてなくて、
出世した大店のご夫婦に会いに行けば
「お金を無心しに来ている」と勘繰られるのでは?と
40年も会いに行けませんでした。

奥様の病(やまい)を治す為に大店のご亭主は
身代(しんだい)を全て失ってもいい覚悟でしたが、
奥様は「人はいつかみんな死にます。
そうまでして、私を生かそうとするのは
あなたの”欲”です。」と諭します。

お金も名声もあの世へは持っていけないけれど
「思い出」だけは持って行けるからという奥様の望みで
幼馴染みのご夫婦に、「路銀(ろぎん)は全て持ちますので
一緒に旅に行ってください」とお願いしますと、

幼馴染みのご夫婦は涙しながら「奢られてやる」と。
「だけど旅の途中で死んでしまったら香典だけは
払わせてくれ」と。

四人で子供の頃のままに「ちゃんづけ」で名前を呼び合い、
生き生きと戯れる姿。
40年の空白の歳月は存在しなかったんですよね。

「幼馴染み」って、そういうもんですよね(*´▽`*)。

今回の放送では「そうまでして生かそうとするのは、
あなたの”欲”です」というセリフが、
五臓六腑にずっしりと圧し掛かりました。

そうかー。。。
受け入れなければいけないことに抗ってでも
「愛する人を失いたくない」と思ってしまうのは
人として当たり前の感情ではあると思うのですが

「受け入れてしまっている人」の前では
それすらも「欲」でしか無いのかも。。。と。

残される側も、たくさん愛して愛されて、
思い出をいっぱい作るしか無いのかなーと。

DESTINY鎌倉ものがたり」を見た時も
そう思ったんですね。
生きている間にすることって、
誰かや何かを愛したり愛されたりすることだけじゃないかなー?って。

それ以外のことって「付録」みたいなもので。




じゅごんろ~どnote

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