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2021年8月12日木曜日

市松水玉の巾着(土器)と「オモウマい店」

あれ?8月なのに梅雨?Σ(・ω・ノ)ノ!
って思ってしまうようなお天気ですね。

朝は「秋?」って思ってしまうくらい涼しかったり。
こんなに涼しい8月は久しぶりな気がするので
とっても有難いです(≧▽≦)。


ということで完成しました、市松水玉の巾着(土器)です♪

なんで土器?なのかは自分でも謎なのですが(///∇//)、
何故か「土器やー」って思いました。

土器など、文化財を扱う会社で財務の仕事をしていた時に、
けっこう色々な文化財を見たのですが、
こういった形の土器は記憶には無いのですが。。。(@_@)。


今回は詰め物無しでも自立して立つタイプです。
寸法上は、縦よりも横に長いのですが、
写真ですとバケツ型で、横よりも縦に長く見える不思議なんですよね。
理論上は解るんですよ。奥行に横幅が取られているって。

そういう事じゃなくて、「そう見える」ことの不思議ですねー(≧▽≦)。


「そう見える」といいますと、
”お色の見え方”は、本当に個人差が大きいのに、
今回は写真にした時の色の出方が生地によって違い過ぎて、
ガビョーン。。。ってなりました(´・ω・`)。


こちらの色を実物に合わせると、こちらが違ってしまう的な。
ガビョーン(´・ω・`)。


上の左側はグレーで訪問着です。真ん中は小豆紫のコート地。
右は古代柄の紬の生地です。
下の左側も古代柄の紬で、真ん中は濃い藤色の雨ゴートの生地です。
右は淡い淡いペール・オレンジの訪問着の生地です。


”京藤(きょうふじ)”と呼ばれるお色に近い訪問着の生地です。


江戸打ち紐も今回は正絹で、水色やグレーに近い、
淡い藤色です。


底は、こんな感じです♪

「価格」のことなのですが、何年か前には
「ハンドメイド作品の価値を上げる為に、安売りはしないでください」
って感じのご意見を幾つか頂戴したことがあって、

当時はハンドメイド作品を販売するのが、
ちょっとしたブームのようになっていて、
「皆で、もっと価値を上げて”仕事”として成り立つように
していこう!」というようなムードだったんですね。

手作りする時間を、時給に換算するのも
何故か流行っていて(笑)、なんで時給???って
ものすごく不思議でした(≧▽≦)。

で、「時給に換算できないもの」というブログも書きました。

ある程度我慢を強いられるような仕事で時給で働かれているなら理解できるのですが、ハンドメイド作品を作って販売するということは、誰かに強制されてしている事ではなくて、作ることが好きだからされている場合が殆どだと思うので。

自分が「良いなー」と思うものを作れて、それを「良いなー」と思って買ってくださる方がいて、お客様が喜んでくださる至福は、とてもじゃないけどお金に換えることはできないと思うのです。(´・ω・`)

お金のことをキチンと考える感覚は大切だと思いますが、(生活費の多くが作ることに掛かっている作家さんは別として)ハンドメイド作品を作っていらっしゃる方々に限って云えば、「時給に換算しても何も良いことがない」と思うのです。(´・ω・`)

それは「目先のお金」で在って「利益」ではないと思うんですよね。
「利益」にはお金以外の沢山のものが混じっていて、喜んでくださる事であったり、作品がお役に立つ事であったり、作品が広まることであったり。
私の場合で云えば、それまでお客様が興味を持たれていなかった着物やお香や和色やアンティークにも、興味を持ってくださる事でもあります。お客様のご興味が広がれば、それはお客様ご自身の利益にもなるし、ご興味に関連したお店や製造されている方々にも利益に繋がる可能性があるからです。

「利益」って、現代では「お金」だけを指すように使われがちですが、本当はもっともっと広義な言葉だと思うんですよね。

損得勘定してイライラしたり落ち込むよりも、金銭的に多少の損をしても気持ちよく過ごせる方が「利益」になるように思います(*´▽`*)。
もしかしてそれが「ご利益(ごりやく)」って事なのかも(≧▽≦)?

4年くらい前に、こんなこと書いてましたねー(///∇//)。

最近、「オモウマい店」というテレビ番組にハマっていて(笑)、
出て来られる店主さんたちの溢れんばかりの個性や哲学に
毎回、新鮮な感動があって、
なんだかとてもスッキリした気分になるんですね。

ご時世柄、「みんな大変だからさー」って、
店主さんご自身が他のバイトをしながら、
お店に来られる方々に0円のお弁当を提供されていたり、

「お腹いっぱいになってりゃ人間は悪いことしない。」
という信念のもと、てんこ盛りのサービスをされていたり。

「もうとにかく、いっぱい持って帰ってもらいたいだけ。」
「来てくれるお客さん、みんな無料にしたい。」

そんなことを仰りながら、計算するのが面倒だからと
更にお会計で値引きまでして、
お客様から遠慮されると「騒ぐんじゃねーよ!」って
一喝する店主さんとか(≧▽≦)。

強面の店主さんもいらっしゃるのですが、
ほとんどの店主さんが、ずーーーっと笑ってらっしゃるんですね。
誰かの為にー!とか、良いことしてるー!という
押しつけがましさが一切なくて、
「自分がそうしたいからしてるだけ」という軽やかさ。

先日の74歳の女性店主さんは、
59歳からおでんのお店を始められて、
「お金の計算はできないけど、人生の計算はできるの。
こう在りたいなぁという在り方になってるから。」
と仰りながら、注文以外のおでんの具も、
「嫌いなものない?」って聞きながら、
どんどん袋に詰めていかれます(≧▽≦)。

若い女性たちが、「私もこんなお店がやりたい。」とか
「心の宿り木だから。美味しいのもあるけど、
ずっと続けて欲しいから買いに来るの。」って仰ってたり。

「お金の計算ができないと騙されたりしませんか?」
という質問にも、
「騙して気が済むなら騙せばいいよー」という
肝の据わったお返事(≧▽≦)。

「儲けなんかないよー。いいんだもん。」
という店主さんたちが、ずっと笑ったはるのは、
お金以外の利益を、たくさん受け取っていらっしゃるからではないかなーと思います。

私も一時は、いろんな方のご意見から値上げしてみたこともあるのですが、
結局、「やっぱりなんか違う。私、こんなことしたいんじゃない。」
という結論に至りました(笑)。

「1円でも多く利益を上げるのがビジネスだ!商売だ!
その利益で展開を広げて、どんどん利益を増やすんだ!」
というのが、これまでだったと思うのですが、

やはりもう時代は変わっていると思うんですね。

ということで、じゅごんろ~どは値下げすることはあっても、
値上げすることはありません(≧▽≦)。
ハンドメイド作家さんとして名を上げるような野望も無く(笑)、
”てづくりすと”として相変わらず、ちんたらぽんたらと
ちょっと変な不思議なものを作り続けていくと思います(≧▽≦)。

市松水玉の巾着(土器)、それぞれのお店に出品しています♪


2021年6月20日日曜日

玉川太福さんの浪曲ライヴ。京都文化博物館の和室にて。


楽しみにしていた玉川太福さんの
浪曲ライブに行ってきました(∩´∀`)∩。
京都文化博物館6階の和室で開催です。

やはり体温を「ピ」と測られ(笑)、
名前と電話番号を聞かれてからの入場でしたが、
無事に入場することができました♪


会場では笛と太鼓の音が鳴り響き、
興奮してお腹の辺りがゾワゾワしてしまいました(笑)。

玉川太福さんは演芸界のワンダーボーイという異名の通り、
抱腹絶倒の創作浪曲から漫談のような語り、
そして凄みさえ感じる古典浪曲での真骨頂。

もう本当に8割か9割くらいの時間は笑っていました(笑)。

圧倒的な声量で、全身全霊で縦横無尽に演じられる姿には
引き込まれるしかありませんでしたね。

「芸」という言葉は元々は植物に使われていたと
盆栽や植物に長年携わっている方が仰っていたのですが、

真っすぐに伸びるはずの葉っぱがクルリと丸まっていたり、
斑(ふ)が入っていたりというように、
”今までなら、こうである”状態から外れている、
突然変異的な個性を持った植物に対して
「芸がある」という表現をされるようになったと。

なるほど「芸」という文字は草冠に雲が立ち上がる象形から
成り立ってるんですよね。

玉川太福さんの浪曲を聴いている時に
”話芸”という言葉が思い浮かびましたが、
個性全開の語りから、そんな風に感じたのかもしれません。

曲師さん(浪曲の伴奏をされる方)のお三味線の音色と
タイミングも素晴らしかったです(≧▽≦)。

久しぶりのライヴを満喫出来て、
大満足の時間でした(∩´∀`)∩。

2020年10月14日水曜日

読書「夜がはじまるとき」スティーヴン・キング※ネタバレ注意

どこを歩いていても、金木犀が香る時期になりました♪

目には見えなくても、香りで金木犀を発見してしまうので(笑)、「お尻探偵」じゃなくて「お鼻探偵」って感じですね(≧▽≦)。

さて今宵は、秋の夜長の読書タイムにピッタリなタイトルですが、どうにもこうにもスティーヴン・キングですので(笑)、怖いお話が苦手な方は、また次回によろしくお願いいたします(*´▽`*)。

そして今回は衛生面に関しても「ぬぇっ!?(@ ̄□ ̄@;)!!」と思われるかもしれない表現が入りますので、今宵心地よくお休みになりたい方にはおススメ出来ないブログとなっております(≧▽≦)。

また次回によろしくお願いいたします(*´▽`*)。

ということで、ここまで書いても残ってくださった方々は、かなりの強者の皆様ですね(≧▽≦)。

今回の「夜がはじまるとき」は短編集になります。

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どの作品も素晴らしかったのは云うまでもありませんが、
今回、特に”狂気”を感じたのは「N」と「どんづまりの窮地」ですね。
強迫衝動、強迫観念に支配された人たちの内面が事細かに描かれていて、客観的に描かれているからこその「怖さ」が、お見事という他ありません(≧▽≦)。

まぁこういった内容を描こうと思えば、感情移入をしていては不可能ですよね。
「N」は、強迫観念が連鎖していくことの怖さもありましたね。患者さんからお医者さんへの連鎖。

そして「どんづまりの窮地」も、「えええええーーー!どうなるのおおおおお!」というサスペンス的要素も相まって、手に汗握る怖さでした(笑)。

肉体も精神も病に侵された隣人との揉め事から、罠に嵌められ、なんと、工事現場の「簡易トイレ」に閉じ込められるカーティス。株式市場で財を成し、何不自由なく暮らしていた百万長者のカーティスが、使い古されて、いつのものだか判らない排泄物が残されたままの簡易トイレに。
隣人に愛犬を、事故に見せかけて殺されたカーティス自身も精神を病み、強迫観念に縛りつけられていました。

もうなんていうか、二人の狂気が火花を散らして炸裂するって感じで(笑)、簡易トイレの中でのカーティスの恐怖は、キング自身が楽しんで書いたはるのが伝わってくるくらい(笑)、リアルに感じましたね。本当の「どんづまり」。

誰もが身近なものを、「恐怖の題材」として描くキングの真骨頂ですね(*´▽`*)。

他にも「奇跡」が描かれた作品など、今回の短編集も多彩で面白かったです♪
秋の夜長に、キングをどうぞ(*´▽`*)。

2020年5月14日木曜日

映画「どこに出しても恥ずかしい人」とちあきなおみさんのこと。


なんだかすっかりご無沙汰してしまってすみません(///∇//)。

そしてお久しぶりなのに、今回は「死」に関する記述が増えると思いますので、読みたくないなと思われる場合はスルーしてくださいませ。
また次回のブログでよろしくお願い致します(*´▽`*)。


似てない似顔絵シリーズで友川カズキさんです(≧▽≦)。
映画「どこに出しても恥ずかしい人」を”仮設の映画館”で観ることが出来ました♪



新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で、映画館もお休みになっていたのですが、インターネットで”仮設の映画館”が開館して、「好きな映画館にお金を払って映画を観る」という事が出来るようになりました♪

ミニシアターって素敵な映画がかかる事が多いので観に行きたいなーって思っても、ミニシアター故のスケジュールで日にちや時間が合わなくて諦めることが多かったんですね。

それが”仮設の映画館”の登場で、好きな時に好きな映画を観ることが出来るなんて!(≧▽≦)。初めて聞いた時は夢のようや~:*:・( ̄∀ ̄)・:*:って思いました(笑)。

初めてでよくわからないままに進んでいったので、京都の出町座さんにお金を払って観ようと思っていたのですが、何故か?元町映画館さんで観ることになりました(笑)。24時間以内なら繰り返して観ることが出来て、これまた総入れ替え制になる前の映画館のようで嬉しくなって、もちろん、また観ました(笑)。

映画は友川カズキさんの日常のドキュメンタリーで、私が友川カズキさんを知ったのは、たぶん「3年B組金八先生」のライブシーンでだったと思いますが、その頃のままに、パンクロックな友川さんが存在していました。

「友川カズキさんみたいになれそうにもないしなりたいとも思わないし、友達になりたいとも思わないけど、友川カズキという存在が生きていてくれるだけでいいのだ。」って感じの映画の感想がTwitterで流れてきたことがあるのですが、まさしく、そんな感じでした(≧▽≦)。

唯一無二。友川カズキさんは友川カズキで在るが故に友川カズキで在り、それ以外の何者でもないし何者にもなろうとしないところが友川カズキさんなのだ。押忍。

映画の中で行きつけの居酒屋さんの店主さんが、友川さんは「そこらへんのおっさんにも大島渚監督にも同じ(態度)なの」と仰っていましたが、息子さん達への接し方も、そんな風に感じました。

26歳の息子さんに、「50歳くらいになって、人生とは?って考えればいいんだよ。そしたら人生って、何でも無いから。」って話される姿は、なんか仙人さんみたいに見えて(笑)、競輪で当てたお金を見せる時には無邪気にはしゃぐ姿が子供さんみたいで(笑)。

お金が手に入ったことが嬉しいというよりも、「競輪で当てたってことが嬉しい」って感じがしたんですよね。まぁお金が欲しければ、とんでもない才能をお持ちの方なので、いくらでもその才能を売り飛ばせばお金にはなるのでしょうが、友川カズキさんですからね(≧▽≦)。

パーティに行くといつもケンカになるから、一切パーティには行かなくなったって仰っていたのも、パーティって「自分を売り出そう」とか「顔を売って仕事に繋げよう」とか、「この仕事にお金を出してもらう為にあの人に近づこう」とかって下心のある方たちが集まる場であることが多いので(偏見)、無理も無いなと思いました(笑)。

バイバイ☆ミチロウ/パンク仰げば尊しにも書かせていただいた遠藤ミチロウさんともよく共演されていて、「ああ。やっぱり惹かれる人たちって繋がっているのだな。」って思いました。

ちあきなおみさんにも曲を作っていらっしゃって、何年か前にちあきなおみさん特集がテレビで放送された時に改めて凄い歌い手さんだなぁと思ったのですが、小さい頃には周りの大人の男の人たちが「ちあきなおみは別嬪やなー。」という言葉に「え?そうなの?」って思ってしまうくらい、その魅力がわかりませんでした(笑)。

私が子供の頃にテレビやラジオで流れて来る音楽って、愛だの恋だの失恋だの別れだの未練だのって曲ばっかりで(笑)、リズムやメロディは楽しかったのですが、歌詞の内容は全く理解できてなかったのです(笑)。

でもちあきなおみさんの歌唱力と共にその演技力・表現力には圧倒されていました。友川カズキさんが書かれた曲の「夜を急ぐ人」でのシャウトにも、日本人離れした情念の表現力を感じましたねー。


伝説の「おいでおいで」のシーンのつもり。。。なのですが。。。なんでこんな絵になってしまったの?って自分でも思ってしまうくらい、ちあきなおみさんじゃない(≧▽≦)。

鬼気迫る。。。そんな表現が子供騙しに感じるくらい、ちあきなおみさんの迸る情念は、美しい狂気でもありましたね。
普段はホワっとした表情の方なのに、曲に入ると顔つきがガラリと変わって。

あれだけの才能を持ちながら、パートナーを亡くされて以来、一切表舞台に立つこともなく、喪に服し続けるかのような生活を送る姿も、狂気のような情念を感じます。闇に咲く、黒い花のような美しさを持って。

友川カズキさんも、弟さんを31歳で亡くされているんですよね。線路に身を投げられて。そのご遺体と対面した友川カズキさんは「無残の美」という曲を書かれています。

詩を書いた位では間に合わない
 淋しさが時として人間にはある
 そこを抜け出ようと思えば思う程
 より深きモノに抱きすくめられるのもまたしかりだ

 あらゆる色合いのものの哀れが
 夫々の運を持ちて立ち現れては
 命脈を焦がして尽きるものである時
 いかなる肉親とても幾多の他人のひとりだ

その死は実に無残ではあったが
 私はそれをきれいだと思った
 ああ覚 今もくれんの花が空に突き刺さり
 哀しい肉のように 咲いているど

 阪和線富木駅南一番踏切り
 枕木に血のりにそまった頭髪が揺れる
 迎えに来た者だけが壊れた生の前にうずくまる
 父、母、弟、兄であることなく

最後まで自分を手放さなかったものの
 孤独にわりびかれた肉体の表白よ
 水の生まれ出ずる青い山中で
 待つのみでいい
 どこへも行くな
 こちら側へももう来るな

 その死は実に無残ではあったが
 私はそれをきれいだと思った
 ああ覚 そうか死を賭けてまでもやる人生だったのだ
 よくぞ走った
 走ったぞ
 無残の美


「無残」という言葉には”いたましいこと””憐れなこと””残酷なこと”という意味もありますが、元々は仏教用語で、”仏の教えを破っても恥じない心のこと”という意味もあります。

教えよりも、その人の人生にとって必要なことって、あるのかも知れませんね。責めることなく、「よくぞ」と称えるように。







2020年3月22日日曜日

バイバイ☆ミチロウ/パンク仰げば尊し


昨年の4月25日に亡くなった遠藤ミチロウさん。


紙の方の京都新聞に「バイバイ☆ミチロウ」という連載がされていて、ミチロウに所縁のあった方々のインタビュー記事が掲載されています♪



”吐き気がするだろう?みんな嫌いだろう?真面目に考えた真面目に考えた僕パンクロックが好きだ中途半端な気持ちじゃなくてほんとに心から好きなんだ僕パンクロックが好きだ”byザ・ブルーハーツ「パンクロック」

ザ・スターリン」というバンドでミチロウが歌っていた頃、京大西部講堂に私も出没していた頃で(笑)、”パンクロックは負け犬の音楽や”って言われることもありましたが、「それなら私は負け犬でいいよ?」って思ってました(≧▽≦)。

パンクロックは「怖い」「うるさい」「汚い」「気持ち悪い」って言われることもありましたが、そこも否定しません(笑)。
そう感じる方がいらっしゃっても当然だと思います(≧▽≦)。

実際、かなり激しかったですし、ああいった世界をご存知ない方にとっては、地獄絵図のようにしか見えないと思います(笑)。

「身体が黙ってなかった」そんな感じでしたね(*´▽`*)。何十人とか何百人規模じゃなくて、10人くらいの聴衆だったこともあったり、演奏する側も聴く側も対等というか。
ひとりひとりがちょっと離れて自由に音楽を聴いて、聴くことによって、またその音楽をひとりひとりが表現するというか。

ものすごく激しくヘッドバンキングする方もいれば、腕組みしながらノる人もいたり。それぞれに違う楽しみ方がありましたね♪
まぁいろいろと公の場に書くことは憚られることも多かったですが(≧▽≦)。

当時、圧倒的な存在感でもう既に伝説的だった「ラン子さん」(←京大西部講堂でのライブ映像YouTubeへのリンクです)も気さくで優しくて親切で、「そこは危ないから、今日はこっちに居た方がいいよ」とか、気にかけて話しかけてくれたはりましたねー♪演奏が始まるともう次元が違いましたが(≧▽≦)。
ラン子さんも97年に44歳で他界されたのですが、ニュースを知った時はミチロウの時と同じようにビックリしましたね。

「パンクロック」って、たぶん好きじゃない方の方が多いと思いますし、ザ・スターリンもミチロウもそれほど”誰もが知る存在”って感じじゃないですし、ましてや京都新聞で追悼連載されるなんて思ってもみなかったので、今回の連載はとてもとてもとても嬉しかったのです(≧▽≦)。

ザ・スターリンも好きな曲は沢山ありますが、「パンク仰げば尊し」を初めて聴いた時にはゾクゾクしましたね(≧▽≦)。
「仰げば尊し」という卒業式でよく歌われるあの曲のパンクです(笑)。

私は入学式とか卒業式とかの記憶が希薄というか殆ど覚えていないのですが(///∇//)。寧ろ出席してたの?って感じです(笑)。

いっざー!さっらあばっ!(≧▽≦)バイバイ☆ミチロウ。




2020年3月16日月曜日

三島由紀夫さんのリスペクトと純粋



似てない似顔絵シリーズの三島由紀夫さんです(///∇//)。


リラックマの2Bの鉛筆で、しゃこしゃこ描きます。


(●´ω`●)ゞ

先日、爆報フライデーというテレビ番組で、三島さんと東大生1000人との討論の様子が放映されたのですが、

それまでの私の、「三島由紀夫」という方に対しての概念を覆す映像でした(ちょっと大層に書きすぎ(≧▽≦))。

10代か20代の頃に三島さんの小説を読んだのですが、なんていうか装飾的?デコラティブ?な感じがしてたんですね。当時の雑誌に載っていた三島さんのお写真も、日本刀を構えて筋肉ムキムキの体を誇示しているような、装飾的でデフォルメされたようなお写真が多かったように思います。「ギャグかな?」って思ってしまうくらい、カッコつけてる感じだったんですね。

んー。何故?国内外の沢山のアーティストさんたちが三島由紀夫という方にそれ程までに惹かれるのか?が私には理解できなったんですね。

学生運動が盛んな時期の、血気盛んな東大生1000人を前に、たった一人で乗り込んだ三島由紀夫という人は、力んだ様子もなく、学生たちの思想へのリスペクトを語り、まっすぐな澄んだ瞳でご自身の思想を語り。その姿が映し出されますと、なんという純粋さと品なのだろう!ってビックリしました(笑)。

そりゃあ世界的なアーティストさんたちも惚れますよね(≧▽≦)。

三島さんのその映像での姿と、作品やお写真とのイメージが違い過ぎてビックリしたのですが、それこそが三島さんの表現の在りようであったのだなーと思いました。

現代から見ますと過剰なくらいの演出は、三島さんの純粋さ故の表現であったのかなーと。茶目っ気たっぷりの(≧▽≦)。

ざっと検索してみますと、肉体へのコンプレックスから体を鍛えたり武道を始められたり。それでもあまり武道も得意にはなれなかったようですが、三島さんにとってはそれは問題ではなかったのかも。


改めて顔写真を見ていますと、どれ程カメラを睨みつけていても、その瞳の愛くるしいこと(≧▽≦)。ちょっと不安げで頼りなげな目は、相手の警戒心も解きますよね♪

子供の様に言葉を装飾して遊び、子供の様に体現することを楽しみ、子供みたいに過剰な演出を喜んでいらっしゃったような気がします。

三島さんが愛されたもう一つの要因は、他者に対するリスペクトだと思うんですね。番組の中でMCの爆笑問題太田さんが、「ネットだと匿名で顔も出さないから”死ね”とか言えちゃうけど、誰にもバレないと思っていても、それを言った自分のことを自分は知ってる訳だから、”自分はそういう人間なんだ”ということを一生背負っていく」って感じの事を仰っていましたが、

「自分は良いことをしている」「正しいことを言っている」と、自己陶酔しながら全く悪気なく、無自覚に他者の尊厳を踏み躙るという行為もよくあることですよね。私も気を付けねばですが💦。

先日の紙の方の京都新聞に、「困窮者を招待するレストラン」というフランスでの活動が掲載されていましたが、「美食に縁のなかった人々が、給仕に上着を脱がせてもらい、一皿ずつサービスを受ける。尊厳をもって遇されることで、生きる自信を取り戻してもらいたい」という理念で、女優さんのマリオン・コティヤールさんもボランティアとして登録されています。

毎晩、70~80人の”社会的疎外者”である”招待客”にサービスを提供していらっしゃるのですが、「施し」ではなく、「招待されたお客様」としてもてなされることが、”どれほど心の救いになるか。”

他者をリスペクトすることは、自身のことをリスペクトすることでもあるのだなぁと思いました。三島さんはリスペクトすることでリスペクトされていらっしゃったのだなぁと。
媚でもなく、忖度欲しさでもなく。

主義思想に関しては今も「?」という感じなのですが(笑)、たぶん三島さんにとっても主義思想はたいした問題では無かったのではなかろうか?と思っています(≧▽≦)。






2019年12月15日日曜日

隊長との再会




アメーバでブログを書かせていただいていた頃から
読んでくださっている方はご存知かも知れません♪

縁結び応援隊隊長(≧▽≦)。

ブログを書き始めた2011年からのお付き合いですので、
かれこれ8年。。。もうじき9年でしょうか。

隊長も私も、承認欲求と呼ばれるような欲求も殆どなく(笑)
ビジネスライクなことも求めていませんでしたし、
こじんまりと心の交流を楽しんだり、一緒に考えたりすることが
楽しいと思えるタイプですので、
お互いのブログにコメントし合ったりして、
とても仲良くさせていただいていたのです♪

京都のメロンパンには白あんが入っている」というブログでも
”宮城県のブロ友さん”と書いているのは隊長のことです(笑)。

隊長もアメーバブログは4年ほど更新されていなかったですし、
私も「チーム天真爛漫」とゾンビ村からの脱出
書かせていただいたようにアメーバから脱出しましたので(笑)、
その間は全く交流は無かったのですが、

この度、隊長とTwitterで再び言葉を交わすことが出来て、
本当に嬉しかったのです(≧▽≦)。

不器用なくらい真っすぐで朴訥で誠実なところは
全く変わらずに、何目線?って感じですが(笑)
なんだかひと回りもふた回りも大きく、
たくましく頼もしくなられたように感じて、
これまた本当に嬉しかったのです(´;ω;`)。

「島田飴」に関しても、「飴を買えばご縁のご利益がある」
などとは謳わず、「行動すること」の大切さを書かれています。

ああ。やっぱり誠実な方だなと、改めて思いました。

「ご縁」というものは無理に起こすようなものではなく、
欲も得もなく動いていたら、なんかいつの間にか?
って感じですよね(*´▽`*)。

ご縁ご縁と求めるようなのは、なんか人様や何かを利用するような
不穏さを感じて苦手なのですが💦

こんな風に、また繋がれるご縁もあるのだなーと
思いました。

「世の中には二種類の人間がいる。○○な人間と××な人間だ。」
という言い回しがありますが、
駆り立てられる何か」という記事にも書かせていただいたように
私はこう、うわー!っと何かに突き動かされるというか
駆り立てられることがあるんですね(笑)。

なんでそんな無茶を、とか、そんなことして何になるの?って
言われるようなことである場合が多いのですが、
どうにも止まらないんですね(≧▽≦)。

大人になってから「駆り立てられない人」が存在するというか
ほとんどの方が駆り立てられたりなんかしないのだということに
気付きました(///∇//)。

ほとんどの方が駆り立てられたりしない中で、
隊長は「駆り立てられて動く」タイプの方だなーと
秘かに認識しておりましたので(笑)仲間だー!(ノ´▽`)ノって、
勝手に思っていたりもしたので

今回の再会は本当に胸が温かくなる感じの
嬉しさだったんですね♪

生きているうちに出会える人って、
世界人口から見ればそんなに多くはないですが、
素敵な方々と巡り合える人生で
本当に良かったなーって思います(*´▽`*)。






じゅごんろ~どnote

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞




2019年12月9日月曜日

姿のある声


10日くらい前まで、「なんて暖かいんだ!」
と思っていましたのに、
急に耳が千切れんばかりの寒風が吹きましたね。

体調を崩される方も多いようですので、
皆様もどうぞご自愛くださいませ。

少し前の紙の方の京都新聞の、
詩人でもあり作家でもある小池昌代さんの、
(絶賛”の”が多いですね(笑))
大好きな連載「股旅日記」に書かれていたのですが、

小池昌代さんがある大学にお勤めだった時、
身体に障害を抱えた「A先生」のお話です。

「先生は、いつも大きく肩を揺らしながら、
一生懸命、控室へ入って来る。
印刷機で資料を作成するのが、少し難儀なご様子に見えたので、
お手伝いしようかと、一度、声をかけたが、
大丈夫ですよとおっしゃる。
確かに私がおせっかいだったことがわかって、
以後は慎むようにした。

それでも時々、苦虫をかみつぶしたようなお顔で
天井を睨んでいることもあった。

ある日、A先生が他の先生と楽しそうに
お話しなさっている声が聞こえてきた。

ぞわっとするほど深い声。
井戸を覗き込むような深遠な気持ちになって、
思わず耳を傾けていた。

話しの内容はつかめなかったが、それでまったく構わなかった。
私は内容でなく、先生の「声の姿」とでもいうものに
心うたれていたのだから。

A先生は男性だが、声には人を癒し、包み込む、
暖かい母性が感じられる。
声の源を訪ねていったのなら、そこには暗く澄みきった
真清水がわいているんじゃないか。

だがなんと孤独な声だろう。
相手がいても混ざらない。

ふと、先生の来し方を思った。
声はなにも、魂を映す鏡ではないけれど、
どんな生き方をしたら、
あのような深々とした発声にたどりつくのか。

長く生きて汚れず、気高くひょうひょうと、
そしてやさしく。」

このコラムを読んでいて「A先生」のお声や、
「来し方」に、想いを馳せますと、
しんしんと降り積もってゆく真っ白な雪の
イメージがしたんですね。「声の姿」が。

暗い夜を雪明りで照らしながら、静かに厳かに、
ただただしんしんと降り積もってゆく真っ白な雪。


確かに声に姿を感じることがたまにあって、
最近ではバスケットボールの八村塁くんの声ですね。


似てない似顔絵シリーズの八村塁くんです(///∇//)。
スーツフェチとかじゃ全然ないんですけど、
アルバのスーツ姿、カッコ良かったですよね♪

八村塁くんの声がスポーツニュースで流れてきた時、
新聞を読んでいたのでテレビ画面を見てなかったんですね。

深くて朗々たる声なのに、軽さと爽やかさがあって、
「黒人さんの歌手の方かな?」と思って
テレビ画面に目を向けますと、八村塁くんでした。

幾つもの山や川や草原や密林を越えて来て、
人生半ばを過ぎた、壮年の男性の声だと思っていたので、
ちょっとビックリしました(≧▽≦)。

まだ21歳の青年なんですよね。
「姿のある声」の方なのだなーと思いました。

就職して間もない頃に電話応対の研修で、
「こういった声のトーンでお話をすると、
先方に心地よく感じていただける」とか、
いろいろと教わったことを思い出しました。

頭の骨格が似ていると声も似るのですが、
言葉遣いや言葉選び、発声の仕方、表情などによって
与える印象は全く違うものになるんですよね。

電話越しでも相手の方の表情って、
なんとなくわかりますよね。バレバレです(笑)。

外見と声の印象が全く違う方もたまにいらっしゃって
面白いですよね(*´▽`*)。

A先生のような声の姿にはなれそうにもありませんが(笑)
いつか「姿のある声」になれたらいいなーって思います。
たとえどんな姿であっても(≧▽≦)。

恐ろしいといえば恐ろしいのですが(笑)
結局はどこもかしこも内面が全て映し出されるし、
見る人が見れば、全ては透けて見えるんですよね。

取り繕えば、取り繕っていることも透けて見え、
上辺を装えば、上辺を装ってることも透けて見え。
探ったり疑ったりしてる訳ではなく、
もう見えてしまうんですよね。

声にさえも、魂が現れる。
ひえ~~~!(笑)
逃げも隠れも出来ないってことですよね(≧▽≦)。

どの道、まな板の上の鯉?
違う?(///∇//)





じゅごんろ~どnote

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2019年11月30日土曜日

富司純子さんと殺陣師の本山力さんが素敵過ぎる件。



京都東急ホテルさんの紅葉です♪
綺麗でしたよー(≧▽≦)。

『京都千年、文化の「道」~時代劇と京都・太秦』
の文化講演会に今回も参加させていただくことが
できました(∩´∀`)∩。

女優さんの富司純子さんも来られるということで、
多数の方が応募されるだろうから、
今回は行けへんかも知れへんねーって
ファミリーと話していたのですが

有難いことに今回も無事、
当選することができました(●´ω`●)ゞ。


「富司純子さん」と申しますと、
整ったお顔立ちに、お嬢様らしい
おっとりとした風情がお在りで、
「映画スター」というイメージしか無かったのですが、

後ろの扉から登場された富司純子さんは、
めちゃめちゃ綺麗で小さなお顔で
そしてとても腰の低い方でした(*´▽`*)。


じゅごんの似てない似顔絵シリーズ(笑)、
緋牡丹博徒のお竜さん」を演じられた時の
富司純子さんをイメージしました(///∇//)。

富司純子さんといえば「緋牡丹博徒のお竜さん」
なのですが、
映画を観る人が減っていた時期で、
「こういった映画であれば人が入る」ということで

同じような映画と役柄ばかりで嫌だったと(笑)
とても率直にお話されていました。
ご結婚の決意の裏には、
一旦、映画界から離れたいという気持ちも
後押ししたと仰っていましたね。

鶴田浩二さんや高倉健さん、山田五十鈴さんなど、
往年の大スターとのエピソードや
ご家族や歌舞伎のことなど
沢山のお話をしてくださいましたが、

なんというか気取りも衒い(てらい)も無く、
しっかりとした芯がお在りで、
ねっとりとした色気のあるお声なのに、
誠実で率直なお話ぶりは、
まるで少女のようだなーと思いました。

「若い方を押しのけたり、顔を突っ張らせてまで
出ようとは思いませんが、
高齢化社会でもある訳ですから、
もっとその年齢なりの、映画があれば
いいなぁと思いますね。」と仰っていました。

お着物で登壇されていたのですが、
流れるような所作や、媚の無い笑顔で、
とてもとても素敵な女優さんでした(≧▽≦)。

そして殺陣師(たてし)の方々の登壇もあり、
殺陣とは時代劇の中で行われる
いわゆる「チャンバラ」なのですが、

「舞踊」と「武道」を融合させた、
様式美であることなど、
こちらも沢山のお話を聞く事ができました♪

登壇された殺陣師さんの中でも、
私の目が釘付けになったのは、
本山力(もとやまちから)」さんという方で、

一番現役バリバリで、ドラマや映画で
活躍されているという紹介でした。

堂々たる体躯に、強面の風貌なのですが、
笑顔は子供さんみたいに嬉しそうで(笑)、

「この形(かた)は、二枚目(イケメン)が
主にする形です。」
と言われる刀の構えを実演される時に、
「え。ほな僕、やったらあかんのん。。。?」って
(≧▽≦)。

実際の殺陣の実演をされる時には、
全身からピリリとした気合が発せられるのですが、
堂々とした立ち姿や殺陣からも
大きさや温かさが伝わってくるような
とても素敵な方でしたよ(*´▽`*)。



本山力さんのショートムービー
見つけてしまいましたっ(≧▽≦)。

ムービーのネタバレしてしまいますが(笑)、
最後に斬られて倒れはるのですが、
その時に、
「俺にはいつも、大空が見えている」って。

そのセリフが、なんか沁みましたね(´;ω;`)。

きっと沢山のことを呑み込んで来られたと
思うのですが、
呑み込んできたことに屈することなく、
純粋な気持ちを保ち続けることは、
並大抵では無いように思うんですね。

富司純子さんも本山力さんも、
それぞれに立場は違えど、
沢山の物事を
ご自身で消化して来られたのだろうなーと。

映画は「写真が動く」から「活動写真」と呼ばれ、
映画製作に携わる方々は「活動屋」と
自ら名乗られたり呼ばれたり。

芸術やイデオロギー、個人的な思想やら哲学、
様々な「熱」を映画に懸けた人々の時代が
ありました。

その「熱」は、色や形を自在に変えながら、
それでも人々に何かを語り続けていくように
思います。


講演会の帰りは西本願寺さんの前を通って
写真をパチリ。
ちょうど西日が残っていたので、
太陽曼荼羅も綺麗に写りました♪


JR京都伊勢丹さんで、大好きな寿司清さんの
お寿司をいただきました♪


双子に写った京都タワーです(笑)。
京都駅周辺もイルミネーションがキラキラしてて
とても綺麗でした(∩´∀`)∩。

なんだかとっても盛り沢山な一日を過ごした気がします(笑)。
楽しくて、たくさん感じて、
大満足の一日でした(≧▽≦)。

追記:本山力さんのWikipediaによりますと、
なんとなんと!元はハードコアパンクバンド「DEEP THROAT」で
ドラムを叩いていらっしゃったと(≧▽≦)。
道理でグイグイ惹きつけられたはずです(笑)。
パンク繋がりとは、嬉しいですね(∩´∀`)∩♪





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