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2021年3月2日火曜日

映画「すばらしき世界」※ネタバレ注意

 


先日、観に行ってきました(∩´∀`)∩。
場内に入る前に、機械の前に立って、
おでこに照準を合わせて「ピ!」って熱を測られて(笑)、
36.0と表示されました。

「おお。こういうシステムになりましたかー。」と
感慨深くなりつつ、無事、入場を果たせました(笑)。

「サワコの朝」に主演の役所広司さんが出演されていて、
観に行きたくなったのでした。

物語は、元ヤクザ者で殺人の罪で刑務所に入っていた
三上さんという男性の出所直前から始まります。

直情的で鉄砲玉気質=まっすぐな三上さんは、
持病を抱え、不安を感じながらも、
出所後は周りの人たちと少しずつ交流を深めていきます。

最初は偏見の目で三上さんを見ていた人たちも、
この社会で生きて行こうとする三上さんに、
それぞれの立場から、それぞれの情を持って、
三上さんと接するように変化していきます。。。

原作は佐木隆三さんの「身分帳」。
孤児院で育ち、人生のほとんどを少年院や刑務所で過ごした
実在の人物のお話しです。

佐木隆三さんの本は、10代か20代初めくらいの頃に、
当時はまだ少なかった犯罪のノン・フィクションとして、
殺人百科シリーズなどを、コリン・ウィルソン等の本と共に、
よく読みましたね。

コツコツとした取材力で、点を線に繋げていく人という
イメージでしたね。

映画の中の主人公の三上さんは、
湧き上がってくる熱に身を委ね、
ケンカ相手のお腹のお肉を噛み千切ろうとしますが、

それを見ていた、三上さんを取材中の
テレビ・ディレクターの女性はニヤニヤしながら
サイコパス感満載でビデオカメラを回しますが、

取材に同行していた小説家志望の男性は
恐怖のあまりにビデオカメラを奪い取り、
現場から逃げ出します。

同じ「取材者」という立ち場でも、
それぞれの道に分かれていきます。

生き抜いてきた環境から自分を支えてきたであろう、
美学や信念を変化させていく三上さんは、
苦悩しながらも真摯に、”現代社会”とされる世界に
馴染もうとします。

生真面目で丁寧な仕事をする三上さんは介護職に就き、
その現場で、知能が遅れているとされる青年と
心を通わせますが、

その青年が小突き回されている場面に出くわしても、
ヤクザ者が馬鹿にされている会話にも、
怒りを堪えます。

そして、その青年が嵐の前の強風の中で、
「嵐が来る前に摘み取った」コスモスを、
三上さんに「持って帰る?」とたずねます。
いつもの、満面の笑顔で。

たくさんのやりきれなさを抱えて、
それでも黙って生きていこうとする三上さんを、
美しいなぁと思いました。

先日、紙の方の京都新聞に、
山口組を50年以上取材されてきた
溝口敦さんのインタビューにも書かれていましたが、
組も終末期を迎えていると。

そして日本の習俗である仏教も神道も
新興宗教も信者を減らしている現代、
宗教もヤクザ社会も必要としない時代に
入ったんだと思うと。

人口減少や出生率の低下を見れば、
どんな団体も縮小したり消滅して、変化していくのは
当然といえば当然なのだなーと思います。

どんな時代にも、はみ出し者たちは存在したし、
これからも存在はするのだと思いますが、
姿形を変えていくのは、はみ出し者たちよりも
社会全体なのかも知れませんね( *´艸`)。

「ホテル・ムンバイ」を観た時もそうでしたが、
今回の「すばらしき世界」も、
沢山の課題を与えられたように感じた映画でした。



2020年5月14日木曜日

映画「どこに出しても恥ずかしい人」とちあきなおみさんのこと。


なんだかすっかりご無沙汰してしまってすみません(///∇//)。

そしてお久しぶりなのに、今回は「死」に関する記述が増えると思いますので、読みたくないなと思われる場合はスルーしてくださいませ。
また次回のブログでよろしくお願い致します(*´▽`*)。


似てない似顔絵シリーズで友川カズキさんです(≧▽≦)。
映画「どこに出しても恥ずかしい人」を”仮設の映画館”で観ることが出来ました♪



新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で、映画館もお休みになっていたのですが、インターネットで”仮設の映画館”が開館して、「好きな映画館にお金を払って映画を観る」という事が出来るようになりました♪

ミニシアターって素敵な映画がかかる事が多いので観に行きたいなーって思っても、ミニシアター故のスケジュールで日にちや時間が合わなくて諦めることが多かったんですね。

それが”仮設の映画館”の登場で、好きな時に好きな映画を観ることが出来るなんて!(≧▽≦)。初めて聞いた時は夢のようや~:*:・( ̄∀ ̄)・:*:って思いました(笑)。

初めてでよくわからないままに進んでいったので、京都の出町座さんにお金を払って観ようと思っていたのですが、何故か?元町映画館さんで観ることになりました(笑)。24時間以内なら繰り返して観ることが出来て、これまた総入れ替え制になる前の映画館のようで嬉しくなって、もちろん、また観ました(笑)。

映画は友川カズキさんの日常のドキュメンタリーで、私が友川カズキさんを知ったのは、たぶん「3年B組金八先生」のライブシーンでだったと思いますが、その頃のままに、パンクロックな友川さんが存在していました。

「友川カズキさんみたいになれそうにもないしなりたいとも思わないし、友達になりたいとも思わないけど、友川カズキという存在が生きていてくれるだけでいいのだ。」って感じの映画の感想がTwitterで流れてきたことがあるのですが、まさしく、そんな感じでした(≧▽≦)。

唯一無二。友川カズキさんは友川カズキで在るが故に友川カズキで在り、それ以外の何者でもないし何者にもなろうとしないところが友川カズキさんなのだ。押忍。

映画の中で行きつけの居酒屋さんの店主さんが、友川さんは「そこらへんのおっさんにも大島渚監督にも同じ(態度)なの」と仰っていましたが、息子さん達への接し方も、そんな風に感じました。

26歳の息子さんに、「50歳くらいになって、人生とは?って考えればいいんだよ。そしたら人生って、何でも無いから。」って話される姿は、なんか仙人さんみたいに見えて(笑)、競輪で当てたお金を見せる時には無邪気にはしゃぐ姿が子供さんみたいで(笑)。

お金が手に入ったことが嬉しいというよりも、「競輪で当てたってことが嬉しい」って感じがしたんですよね。まぁお金が欲しければ、とんでもない才能をお持ちの方なので、いくらでもその才能を売り飛ばせばお金にはなるのでしょうが、友川カズキさんですからね(≧▽≦)。

パーティに行くといつもケンカになるから、一切パーティには行かなくなったって仰っていたのも、パーティって「自分を売り出そう」とか「顔を売って仕事に繋げよう」とか、「この仕事にお金を出してもらう為にあの人に近づこう」とかって下心のある方たちが集まる場であることが多いので(偏見)、無理も無いなと思いました(笑)。

バイバイ☆ミチロウ/パンク仰げば尊しにも書かせていただいた遠藤ミチロウさんともよく共演されていて、「ああ。やっぱり惹かれる人たちって繋がっているのだな。」って思いました。

ちあきなおみさんにも曲を作っていらっしゃって、何年か前にちあきなおみさん特集がテレビで放送された時に改めて凄い歌い手さんだなぁと思ったのですが、小さい頃には周りの大人の男の人たちが「ちあきなおみは別嬪やなー。」という言葉に「え?そうなの?」って思ってしまうくらい、その魅力がわかりませんでした(笑)。

私が子供の頃にテレビやラジオで流れて来る音楽って、愛だの恋だの失恋だの別れだの未練だのって曲ばっかりで(笑)、リズムやメロディは楽しかったのですが、歌詞の内容は全く理解できてなかったのです(笑)。

でもちあきなおみさんの歌唱力と共にその演技力・表現力には圧倒されていました。友川カズキさんが書かれた曲の「夜を急ぐ人」でのシャウトにも、日本人離れした情念の表現力を感じましたねー。


伝説の「おいでおいで」のシーンのつもり。。。なのですが。。。なんでこんな絵になってしまったの?って自分でも思ってしまうくらい、ちあきなおみさんじゃない(≧▽≦)。

鬼気迫る。。。そんな表現が子供騙しに感じるくらい、ちあきなおみさんの迸る情念は、美しい狂気でもありましたね。
普段はホワっとした表情の方なのに、曲に入ると顔つきがガラリと変わって。

あれだけの才能を持ちながら、パートナーを亡くされて以来、一切表舞台に立つこともなく、喪に服し続けるかのような生活を送る姿も、狂気のような情念を感じます。闇に咲く、黒い花のような美しさを持って。

友川カズキさんも、弟さんを31歳で亡くされているんですよね。線路に身を投げられて。そのご遺体と対面した友川カズキさんは「無残の美」という曲を書かれています。

詩を書いた位では間に合わない
 淋しさが時として人間にはある
 そこを抜け出ようと思えば思う程
 より深きモノに抱きすくめられるのもまたしかりだ

 あらゆる色合いのものの哀れが
 夫々の運を持ちて立ち現れては
 命脈を焦がして尽きるものである時
 いかなる肉親とても幾多の他人のひとりだ

その死は実に無残ではあったが
 私はそれをきれいだと思った
 ああ覚 今もくれんの花が空に突き刺さり
 哀しい肉のように 咲いているど

 阪和線富木駅南一番踏切り
 枕木に血のりにそまった頭髪が揺れる
 迎えに来た者だけが壊れた生の前にうずくまる
 父、母、弟、兄であることなく

最後まで自分を手放さなかったものの
 孤独にわりびかれた肉体の表白よ
 水の生まれ出ずる青い山中で
 待つのみでいい
 どこへも行くな
 こちら側へももう来るな

 その死は実に無残ではあったが
 私はそれをきれいだと思った
 ああ覚 そうか死を賭けてまでもやる人生だったのだ
 よくぞ走った
 走ったぞ
 無残の美


「無残」という言葉には”いたましいこと””憐れなこと””残酷なこと”という意味もありますが、元々は仏教用語で、”仏の教えを破っても恥じない心のこと”という意味もあります。

教えよりも、その人の人生にとって必要なことって、あるのかも知れませんね。責めることなく、「よくぞ」と称えるように。







2019年11月30日土曜日

富司純子さんと殺陣師の本山力さんが素敵過ぎる件。



京都東急ホテルさんの紅葉です♪
綺麗でしたよー(≧▽≦)。

『京都千年、文化の「道」~時代劇と京都・太秦』
の文化講演会に今回も参加させていただくことが
できました(∩´∀`)∩。

女優さんの富司純子さんも来られるということで、
多数の方が応募されるだろうから、
今回は行けへんかも知れへんねーって
ファミリーと話していたのですが

有難いことに今回も無事、
当選することができました(●´ω`●)ゞ。


「富司純子さん」と申しますと、
整ったお顔立ちに、お嬢様らしい
おっとりとした風情がお在りで、
「映画スター」というイメージしか無かったのですが、

後ろの扉から登場された富司純子さんは、
めちゃめちゃ綺麗で小さなお顔で
そしてとても腰の低い方でした(*´▽`*)。


じゅごんの似てない似顔絵シリーズ(笑)、
緋牡丹博徒のお竜さん」を演じられた時の
富司純子さんをイメージしました(///∇//)。

富司純子さんといえば「緋牡丹博徒のお竜さん」
なのですが、
映画を観る人が減っていた時期で、
「こういった映画であれば人が入る」ということで

同じような映画と役柄ばかりで嫌だったと(笑)
とても率直にお話されていました。
ご結婚の決意の裏には、
一旦、映画界から離れたいという気持ちも
後押ししたと仰っていましたね。

鶴田浩二さんや高倉健さん、山田五十鈴さんなど、
往年の大スターとのエピソードや
ご家族や歌舞伎のことなど
沢山のお話をしてくださいましたが、

なんというか気取りも衒い(てらい)も無く、
しっかりとした芯がお在りで、
ねっとりとした色気のあるお声なのに、
誠実で率直なお話ぶりは、
まるで少女のようだなーと思いました。

「若い方を押しのけたり、顔を突っ張らせてまで
出ようとは思いませんが、
高齢化社会でもある訳ですから、
もっとその年齢なりの、映画があれば
いいなぁと思いますね。」と仰っていました。

お着物で登壇されていたのですが、
流れるような所作や、媚の無い笑顔で、
とてもとても素敵な女優さんでした(≧▽≦)。

そして殺陣師(たてし)の方々の登壇もあり、
殺陣とは時代劇の中で行われる
いわゆる「チャンバラ」なのですが、

「舞踊」と「武道」を融合させた、
様式美であることなど、
こちらも沢山のお話を聞く事ができました♪

登壇された殺陣師さんの中でも、
私の目が釘付けになったのは、
本山力(もとやまちから)」さんという方で、

一番現役バリバリで、ドラマや映画で
活躍されているという紹介でした。

堂々たる体躯に、強面の風貌なのですが、
笑顔は子供さんみたいに嬉しそうで(笑)、

「この形(かた)は、二枚目(イケメン)が
主にする形です。」
と言われる刀の構えを実演される時に、
「え。ほな僕、やったらあかんのん。。。?」って
(≧▽≦)。

実際の殺陣の実演をされる時には、
全身からピリリとした気合が発せられるのですが、
堂々とした立ち姿や殺陣からも
大きさや温かさが伝わってくるような
とても素敵な方でしたよ(*´▽`*)。



本山力さんのショートムービー
見つけてしまいましたっ(≧▽≦)。

ムービーのネタバレしてしまいますが(笑)、
最後に斬られて倒れはるのですが、
その時に、
「俺にはいつも、大空が見えている」って。

そのセリフが、なんか沁みましたね(´;ω;`)。

きっと沢山のことを呑み込んで来られたと
思うのですが、
呑み込んできたことに屈することなく、
純粋な気持ちを保ち続けることは、
並大抵では無いように思うんですね。

富司純子さんも本山力さんも、
それぞれに立場は違えど、
沢山の物事を
ご自身で消化して来られたのだろうなーと。

映画は「写真が動く」から「活動写真」と呼ばれ、
映画製作に携わる方々は「活動屋」と
自ら名乗られたり呼ばれたり。

芸術やイデオロギー、個人的な思想やら哲学、
様々な「熱」を映画に懸けた人々の時代が
ありました。

その「熱」は、色や形を自在に変えながら、
それでも人々に何かを語り続けていくように
思います。


講演会の帰りは西本願寺さんの前を通って
写真をパチリ。
ちょうど西日が残っていたので、
太陽曼荼羅も綺麗に写りました♪


JR京都伊勢丹さんで、大好きな寿司清さんの
お寿司をいただきました♪


双子に写った京都タワーです(笑)。
京都駅周辺もイルミネーションがキラキラしてて
とても綺麗でした(∩´∀`)∩。

なんだかとっても盛り沢山な一日を過ごした気がします(笑)。
楽しくて、たくさん感じて、
大満足の一日でした(≧▽≦)。

追記:本山力さんのWikipediaによりますと、
なんとなんと!元はハードコアパンクバンド「DEEP THROAT」で
ドラムを叩いていらっしゃったと(≧▽≦)。
道理でグイグイ惹きつけられたはずです(笑)。
パンク繋がりとは、嬉しいですね(∩´∀`)∩♪





じゅごんろ~どnote

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2019年10月15日火曜日

映画「ジョーカー」観てきました♪※ネタバレ注意


云わずと知れたアメリカン・コミック、
1939年に誕生した「バットマン」の登場人物の一人である
ジョーカー”が、一人の人間から”ジョーカー”に生まれ変わるまでの
オリジナル・ストーリーの映画です。

ホテル・ムンバイ」と同じ日に観たのですが、
ホテル・ムンバイは涙が溢れてしまったシーンもありましたが、
「ジョーカー」は椅子に腰掛けた時から胸が詰まり、
お腹周りが重くなって、映画が始まってからは
主役のアーサー・フラック(後のジョーカー)を演じる、
ホアキン・フェニックスの演技から目が離せませんでした。

最初のシーンから、もうなんだか、
やるせない気持ちでいっぱいでしたね。

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時は1980年代、格差社会が広がる「ゴッサムシティ」で、
精神を患ったお母さんと二人で暮らすアーサーは、
いつかコメディアンになることを夢みて
道化師の衣装を身に纏い、お店の宣伝や病院の慰問などの
仕事をしていました。

アーサーも脳に障害があり、
発作的に笑い出すという症状もありましたが、
鬱屈した精神を抱えながらも、
それでも、同じ話を繰り返す母親のお世話をしたり、
子供を笑わせようとする、一人の優しい男性でした。

人々の心も荒廃していくゴッサムシティで、
社会と辛うじて繋がっていた、
他者と辛うじて繋がっていた、
蜘蛛の巣のような細い糸が、次々と千切れてしまうまでは。

市の財政難でカウンセリングも薬も絶たれ、
仕事仲間に嵌められて仕事を失い、
自分の父親だと聞かされていた名士から、
おまえの母親は狂っていると告げられ、

母親から聞かされていた話が全くのデタラメで、
本当は養子で、実の母だと思っていた養母と
養母の男から、幼い頃に苛烈な虐待を受けていた事実を知り、

辛うじて辛うじて繋がっていた蜘蛛の巣のような細い糸から、
アーサーは解き放たれます。
ささやかな幸せだった、妄想からも。

それは”絶望”という名の、ひとつの死でした。

養母を殺し、自分を嵌めた同僚を殺し、
養母から「本当の父親」と聞かされていた名士を殺し、
憧れの人だったのに、自分を馬鹿にして貶めた、
人気テレビ番組の司会者も殺しますが、

たった一人、小さな体の同僚には、
「優しくしてくれたのは君だけだったよ」と語りかけ、
殺すことはしませんでした。

彼が、アーサーが、決して狂ってはいなかった証拠のように。

格差社会と現状への怒りと不満で爆発するのを、
今か今かと待ち構えていたような市民たちにとって、
アーサーは期せずして英雄となり、
”絶望”という死から、”ジョーカー”は誕生しました。

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ストーリーとしては、それほど目新しいものは無いのですが、
救いが少な過ぎて、やるせなかったです(´・ω・`)。

ジョーカーを演じたホアキン・フェニックスの、
圧倒的な演技力、圧巻の表現力が、
ジョーカーを実在の人物として、存在させたように思います。

笑い方、歩き方、走り方、座り方、自己陶酔の恍惚ダンス、
ひとつひとつの表情と、その変化の仕方。
元々なのか?手の爪の短さは、神経質で深爪し過ぎたか
爪を噛む癖があることを想像させます。

同じくジョーカーを演じた「ダークナイト」のヒース・レジャーは、
ダークナイトの公開前に28歳という若さで、
薬物併用の急性中毒で亡くなっていますが、

俳優の小栗旬さんが、「あのジョーカーを生んだ、
あの演技をしたヒース・レジャーがオーバードーズで亡くなったけど、
人間って心が弱いから、だからこそ別人格になることに命を賭けて、
現実がどこだか分からなくなる瞬間があるから、
そういうこともある。

自分たち役者は、演じる為に経験をすることも必要だけど、
殺人者を演じるからといって、殺人する訳にはいかない。
自分の想像力を信じて、それで補っていくしかない。」
的なことを仰っていたことがあって、

”ジョーカー”を演じるということは、そういうことなのだなーと
思いました。

私たちが「娯楽」として観ているものは、
ギリギリの、命懸けの人々が創っているからこそ、
ずーっと心に残ったり、様々なことを感じさせ、
考えさせてくれるのだなーと。


「ジョーカー」はあくまでもオリジナル・ストーリーの
フィクションではありますが、
現代社会と重なるような格差社会や鬱屈が描かれています。

アーサーも、決してフィクションの中だけの
人物像ではないと思います。
誰しもが、ジョーカーになる可能性を、
体の中に隠し持っています。







じゅごんろ~どnote

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2019年10月11日金曜日

映画「ホテル・ムンバイ」観てきました♪※ネタバレ注意


先日、「ジョーカー」と「ホテル・ムンバイ」を
立て続けに観るというハードな時間を過ごしました(笑)。

観たい映画が続くということもあって、
久しぶりに1日で2本の映画を観ましたね(≧▽≦)。

10代の頃は「3本立て」の映画館が普通にあったので、
1日3本の映画を観るということも普通だったのですが、
シネコンが主になった現在では、久しぶりなことでした。

「ホテル・ムンバイ」は実際にあったインドでの
同時多発テロが、生々しく描かれていました。
なんでか?映画が始まると同時に胸がドキドキして、
ずーーーっとドキドキしていましたね(///∇//)。

主人公のアルジュンを演じたデーブ・パーテルを見た時、
なんて純粋なお顔をされた方なのだろう!と思ったのですが、
あとで調べてみますと、「スラムドッグ$ミリオネア」の
主人公でもあった方なんですよね(*´▽`*)。

「スラムドッグミリオネア」のダンスシーンは
ムンバイ駅で撮影されたのですが、
その数か月後に、その場所がテロの標的になったことで、
「ホテル・ムンバイ」に出演するデーブ・パーテルの想いも、
かなり強かったのだと思います。

主人公のアルジュンはインドの5つ星ホテル、
「タージマハル・ホテル」で給仕係として働く男性です。
生活は楽では無いけれども、仕事熱心で誠実で家族思い。

その日も、靴を落としてしまってサンダル姿のアルジュンは、
料理長に接客はしないように命じられますが、
奥さんのお腹に新たな命が宿っていることを説明して、
なんとか靴を借りて仕事にありつきます。

なんやかんやと有りながらも、
「日常」であったはずのその時。

他の場所でテロに遭った人々がホテルに助けを求めて
殺到する中に、テロリストたちも混じっていました。

豪華なホテルで、機械的に、無表情に、
逃げ惑う人々を容赦なく撃ち殺していくテロリストたち。

でもその姿は、「少年たち」でした。

「俺たちは神の使いだ。お前たちもそうだ。
俺たちの富を横取りした白人を殺すのは、
神の為だ。」

そう洗脳された、少年たちでした。

ホテルの水洗のお手洗いに驚くような、
純朴なはずの、少年たちでした。

女性の遺体のブラジャーの中を探れと命令されても、
「それはできない」と断ってしまうような、
敬虔なはずの、少年たちでした。

「おまえたちの生活が苦しいのは、あいつらのせいだ。
あいつらを殺せば、おまえたちも神の元へ行ける。
神の仕事を手伝えば、おまえのたちの家族には金を払う。」

そう、言いくるめられた、少年たちでした。

でも、中には信じきれない少年もいて、
負傷した痛みに耐えながら父親に電話をして、
「お金を払ってもらった?必ずお金を払ってもらうんだよ。」と
話す子もいました。

本当は、気付いていたのかも知れません。

恨みや憎しみや、自分たちの欲望の為だけに、
テロリストの親玉に利用されていることを。

本当は、テロなんてしたくなかったのでしょう。
お父さんやお母さんを、楽させてあげたい。
妹や弟だけでも学校へ行かせてあげたい。
ただ、それだけだった。

そんな純粋な気持ちに、お金をチラつかせて、
つけ込んで、殺戮マシーンに仕立て上げる。
純朴な人の人間性を破壊するところから、
もう既にテロは始まっているのだと思います。

ホテルマンたちは生き残ったお客様を
助けが来るまで窓のない部屋に誘導しますが、
その際、調理長が、逃げたい者は逃げていい。
恥でも、謝ることでもない。とホテルマンたちに告げます。

みんな「日常」が在り、それぞれの事情や考えがあり、
立ち去る人も残る人もいましたが、

実際にあの場所に居れば、逃げる選択をした人を
誰が責められるでしょうか。
そして逃げた方々も後々、それを後悔する人、
あの時の選択は、あれが最善だったのだと思える人、
それぞれだと思います。

お客様の中には、アルジュンの「ターバンと髭」という風貌に
恐怖を感じるから、外して欲しいと言い出す老女もいましたが、

アルジュンは老女に家族の写真を見せ、
ターバンも髭も、シーク教徒としての誇りと歴史があることを説明して、
それでも外して欲しいと仰るなら外しますと言いますが、
老女は微笑みを見せ、その必要はなくなったことを告げます。

話すことも無く、外見だけ見ていれば怖くても、
誠実にお話をして、
「お互いに同じ人間なのだ。誇りと歴史を持った人間なのだ。」
ということさえ伝われば、何も怖くないんですよね。

「わからない」ということが「恐怖」や「恐れ」に繋がり、
お互いに伝えよう、わかろう、とすることで、
恐怖も恐れも、ただの誤解や偏見でしかないことに
気付くのですよね。

映画の内容は本当にリアリティがあって、
大きな爆発音を聞いた後は、耳が聞こえにくくなる状態とか、
銃の発砲音とか、「その場」に居るような感覚でした。

「テロリスト」であるはずの少年たちも
ホテルマンもお客様も、本当は誰一人として、
「悪人」なんかでは無いし、
誰一人として、平穏な日常から突如、
大切な人を奪われなければいけない謂われは無いのです。
断じて、無いのです。

ですが、これはこの世界の現実です。
自らの欲望の為に誰かや何かを「敵」に仕立て上げ、
自らは手を汚さず、他者の欲望に火を点け、
その純粋な気持ちを、愛情を利用するのです。

使い捨てにする為だけに。

テロは、非日常でもあり、極限状態でもあります。
一瞬一瞬で、命をかけた選択を迫られます。

その時に、どう動くか?何を選択するか?
平穏な日常の中でも、それは常に、無意識にしていることが、
非常時にも発動するのではないかなー?と思いました。

ロシアの元特殊部隊の方も人質のお一人だったのですが、
女性たちを集めたパーティをムンバイでされていたようで、
女性を集める際に電話で「で、その女性の乳首のサイズは?」って
レストランで、大きな声で話されていたシーンとか、

少年たちにボコボコにされても、隙を見つけて足首に噛みついて、
どんな状況下であろうとも反撃の機会を見逃さないところとか、
ちょっと笑ってしまいました(≧▽≦)。

「乳首のサイズ」っていうのが、未だ謎なのですが(笑)。

「日常」というものが、本当に奇跡の連続で成り立っているということ、
それは、いとも簡単に、
誰かの欲望によって壊すことが出来るということ、

「日常」をどう生きるか?ということが、
非常時にも反映されるのではないかということ。

市井の人々の日常の、尊さや美しさを感じると共に、
沢山の課題を与えられたように感じる映画でもありました。







じゅごんろ~どnote

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2019年7月22日月曜日

映画「ダイナー」観てきました♪※ネタバレ注意


平山夢明さんの大好きな小説が映画化された
ダイナー」を、先日観に行ってきましたよ♪

映画を観る前に小説を読み返そうかなー?
とも思ったのですが、
殆どの場合、小説と映画は別物であることが多いので、
今回も「別物」として楽しんできました(*´▽`*)。

見事な蜷川実花さんワールドで、
画面の隅々までこだわり抜かれた映像は
目の情報量が多過ぎて(笑)、目がヨレヨレになりました(笑)。

狂気の殺し屋さんたちを、
役者さんたちが嬉々として演じたはる様子も
楽しかったです(*´▽`*)。

ーーーーーーーーーーーーーー

主人公の「おおば・かなこ」は小さい頃に
母親が姉だけを連れて家を出て行ってから、

”誰も信じない事にした。そうしなければ
生きて来れなかった。
誰も信じなくなったら、誰にも信じてもらえなくなった。
誰にも信じてもらえなくなったら
自分の事も信じられなくなった。”

そんな子。

日々をやり過ごし、覇気のない表情で
必要最低限の仕事をこなす。

ある日、行きたい場所が出来た事で
お金が必要になり、
法外な日給を得られる仕事に応募して、
闇社会と関りを持ってしまうことになります。

ダイナーのオーナーである「ボンベロ」に買われ、
殺し屋専門のレストランで働くことになり、
一瞬の気の緩みが、即「死」に繋がる環境に
身を置くことになります。

それまで「人や自分と向き合うこと」から逃げてきた女の子が、
目の前に突き付けられた「死」を意識することで、
必死で生き延びようとし始めます。

元殺し屋で、現在は最高の料理を出すシェフである
ボンベロや、様々な殺し屋さんたちと触れ合ったり、
血で血を洗う抗争に巻き込まれるうちに、
「可哀そうな自分に浸る自分」を
脱ぎ捨てざるを得なくなります。

元々、お料理を作って、食べて喜んでもらえることが
大好きだったことを思い出し、
ボンベロの様に、「誰かの人生を変える料理」を
提供できるようなお店を持ちたいという
夢まで芽生えます。

いつ殺されるか分からない、死と向き合う日々の中で。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

純愛ストーリーでもあり、青春劇でもあり。

藤原竜也さんの、地面を震わすような声が大好きで、
そこも堪能できました(///∇//)。

長髪を後ろで束ねている役柄で、
後ろ姿は寧ろ女性のような線の細ささえ感じるのに、
蜷川幸雄さんの舞台で鍛え上げられた発声なのでしょうか?

以前、テレビ番組の
世界遺産」のナレーションも担当されていて、
その時の抑制のきいた声も好きでしたねー。

真矢みきさんの、宝塚で鍛え上げられた所作も
カッコ良かったです♪

蜷川実花さんの世界観は、「毒や闇が咲かせる花」
というイメージです。
それでも何処か、温かみや柔らかさ、様式美を
感じますね。

映像のあちこちに仕掛けられた「遊び」も
見つけるのが楽しかったです(*´▽`*)。



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2019年4月15日月曜日

映画「運び屋」見てきました♪(※ネタばれ注意)


先日、クリント・イーストウッド監督・主演の
「運び屋」を見てきました(*´▽`*)。

イーストウッドの監督作品は、
いつも心に引っ掛かりを残してくれて、
何かの折に、ふと、考える時間を与えてくれるのです。

映画を映画館で観た時間だけではなく、
見終えた後の人生にも影響を与え続けてくれる映画って
やっぱりスゴイなーと思うのです。

さて。
「運び屋」は、実際に麻薬の運び屋として10年間走り続けた、
90歳近い男性にインスピレーションを得て作られたそうです。

90歳近い年齢を迎えながら、何の為に犯罪に関わり、
何の為に大金を必要としたのか?
もしくは必要としなかったのか?

運び屋のアールを演じた88歳のイーストウッドは、
相変わらず骨太なガッシリとした体形で、
筋肉が落ちたからこそ、余計にその骨の太さが際立っていましたね。

アールは「ディリリー」と呼ばれる、
1日だけ開花する百合の花を育てていて、
コンテストでも優勝するくらい、その花を特別に愛し、
率直で機知に富んだ物言いや仕事熱心さで、
周りの人たちからも愛されていました。

家族以外からは。

実際には家計は火の車で、自宅は差し押さえられ、
家族の記念日や行事にも、仕事や外での付き合いを優先してきた結果、
娘さんは12年半も口をきいてはくれないような
家族関係となってしまっていました。

なんとか母とおじいちゃんを繋ごうとする心優しい孫娘の為に、
「車を運転するだけの仕事」をアールは引き受けます。
麻薬カルテルの運び屋の仕事だとも知らずに。

「危ない橋を渡るんだな」と最初に気付いた時は、
「やっちまったな」という表情をしたアールでしたが(笑)
朝鮮戦争の退役軍人でもあるアールは、徐々に腹を括って、
大金を得られる”運び屋”をエンジョイし始めます(笑)。
”ちょっとしたドライブ。ちょっとした旅。”のように。

警察が近づいてきても、持ち前の機転で窮地を脱し、
カルテルの人間たちからも、その度胸と運転の腕を信用され、
くだけた会話を交わせるようになったり、
麻薬カルテルのボスにも気に入られたり。

麻薬を運んで得られた大金で、家族や地域の人たちの望みを
叶えることが出来たアールでしたが、
運び屋の”見張り”として行動を共にして、
微かな「情」も通っていた若者に語ります。

「ボスはお前たちの命なんか何とも思ってやしない。
この仕事を辞めて、自分の好きなことをするんだ。」

アールが言った通り、カルテルの仲間内にボスは殺され、
後釜となった新たなボスは、アールの「自由なドライブ」を
許しませんでした。

そんな時、奥さんの病気が発覚し、
余命幾許もない事を孫娘から知らされたアールは
運び屋の仕事を中断し、
家で最期の時を待つ奥さんに付き添います。

散々、蔑ろにされてきたのに、奥さんは
「傍にいてくれて、とても嬉しい」と(´;ω;`)。

12年半、口をきいてくれなかった娘さんに、
仕事や外での付き合いばかり優先してきた事に対して、
「すべて、しくじった。すべて間違ってた。」と告白するアール。
娘さんは優しく言います。
「遅咲きなだけよ。」

奥さんの最後の1週間を共に過ごし、
家族とも和解できたアールでしたが、
逮捕の時は来てしまいます。

裁判では、高齢であることや、騙されていたからと、
無罪を主張しようとする弁護士さんを遮り、
「有罪だ」とキッパリと主張するアール。

娘さんたち家族は、「居場所が分かるだけましよね。」と、
泣き笑いしながら有罪判決を受け入れます。

刑務所でもお花を育てるアール。



「成功ってなんだ?」という記事にも書かせていただきましたが、
生きているうちは、全てが「経過」でしかなく、
「経験」でしかないと思うんですね。
成功も失敗もなく、正解も間違いもなく。

「しくじった」と思ったとしても、
その「しくじり」から何かに気付いたり、何かを得たり。
間違った事をしたからこそ、人に伝えられるものが在ったり。
しくじり先生」というテレビ番組もありますよね(笑)。

最後の1週間が、アールと奥様にとって、
とても幸せな時間であったのなら、
「すべて、しくじった」訳ではないですよね(*´▽`*)。

そう。遅咲きなだけ。

ハラハラドキドキのシーンもあり、
年老いて尚、カッコいいイーストウッドを堪能出来て
大満足の映画でした(∩´∀`)∩。


2019年3月24日日曜日

映画「グリーンブック」勇気が人の心を変える


先日、映画「グリーンブック」を観てきました(*´▽`*)。

1960年代のアメリカで、実際に在った事を映画化された作品です。

「グリーンブック」とは、
黒人さん専用の、小さな旅行ガイド冊子。

”このホテルなら、黒人さんも快適に泊まれますよ。”
”このレストランなら、黒人さんも快適に食事できますよ。”
という、人種差別の象徴のような、おぞましい、ガイドブック。

物語は、黒人さんでピアニストのドクター・シャーリーが
北部よりも更に差別の激しい、時に”黒人さん”という理由だけで、
命を落とすことも珍しくない南部へのツアーを決行する為に
車の運転手さんを募集していたところへ、
イタリア系白人さんのトニー・リップが紹介を受けて現れたことで、
二人の出会いと、旅が始まります。

お二人とも実在の人物なのですが、
そのコントラストが、あまりにも見事で。
言葉にしてしまうと、とても陳腐な表現になってしまうのですが、
それはもう”運命的に出会った”としか、思えない(≧▽≦)。

ドクター・シャーリーは幼少期からピアノの才能を認められ、
音楽院で学び、「ドクター」の名前通り、博士号も取得。
物静かで、姿勢もマナーも良く、あの時代の黒人さんでありながら、
ホワイトハウスに招かれて演奏する程の才気の持ち主。

一方の運転手として雇われたトニー・リップはといえば、
子供の頃から口先で人様を丸め込むのが得意なのですが(笑)
人様を丸め込めるだけの、真っ直ぐさや、
堂々たる胆の据わり具合、率直で憎めないところなど、
人間的な魅力に溢れた人物です。
適当な嘘をついて その場を切り抜けて 
誰ひとり 傷つけない 日曜日よりの使者
というザ・ハイロウズの曲に出てくるような。

実際には用心棒としても腕が良くて(笑)
躊躇なく、拳を振るうのですがね(≧▽≦)。


真面目なドクター・シャーリーと、
おおらかなトニー・リップの関係は、
最初はお互いにギクシャクしたり、腹を立て合いますが、

本当は北部でツアーをすれば、
ドクター・シャーリーは3倍のギャラを安全に稼げること。
人種差別を変えていく為に、南部に乗り込んだこと。
毎夜、演奏仲間の白人さんたちの輪にも入らず、
カティサークというイギリスのウィスキーを
一人で1本、飲み干していること。
同性愛者であること。などに触れていくうちに、
トニーはシャーリーの心の奥底の、苦悩や哀しみを感じ取っていきます。

そしてトニーの、美人の奥さまや子供たちに対する深い愛情や
飾り気のなさ、子供のような茶目っ気、頼りになる問題解決能力、
世知に長けた懐の深さに触れ、
シャーリーも心を開いていきます。

お金持ちの白人さんたちは、
「自分たちは差別などしない、知識人である」
という優越感に浸りたい為に
黒人さんであるシャーリーを招いて、演奏会を開いていることを
シャーリーは知っています。

生い立ちや、性的な指向から、自分が白人でも黒人でも無く、
人間ですら無いと、感じて生きてきました。

でも、そんな苦しみを抱えているシャーリーだからこそ、
自分が、変えていくのだという決意を持って、
南部での、命懸けのツアーを決行しました。

演奏仲間が、トニーに語ります。
「才能では、人は変えられない。勇気が、人を変える。」と。


私の大好きなロード・ムービーでもあり、
とても楽しくて、
そしてあの時代に、
本物の勇気を持って、闘っていた人たちに会えたようで、
見終わった後、胸がいっぱいになる映画でした(*´▽`*)。

全編、もちろん音楽も最高でした(≧▽≦)。

実在の人物であるお二人は、生涯の友となり、
2013年に、数か月の差で亡くなられたそうです。

共に、その時代を生きることが
使命であったかのように。


映画を見終えた後、思い出したのは、
シドニー・ポワチェという大好きな俳優さん。

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そして
吉田ルイ子さんのノンフィクション、
「ハーレムの熱い日々」


そして、チャップリンの名言。
人生は恐れなければ、
とても素晴らしいものなんだよ。
人生に必要なもの。
それは勇気と想像力。
そして少しのお金だ。

「「変人」という生き方」でも
「独創とは勇気である」という言葉が在りましたが。

人の心を動かすのは、「勇気」だけなのかもしれませんね。

積み重ねていく勇気。
「やる」という勇気。
「やらない」という勇気。
受け入れる勇気。
放棄する勇気。

「勇気」というのは、誰にも何者にも左右されない、
たった独りの、決断と行動なのかもしれませんね(*´▽`*)。

2018年3月13日火曜日

映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を観てきました。

それはおとぎの国と現実世界が、まだ今よりも混じり合っていた頃のおはなし。

イライザは首にある傷跡が原因と思われる失声(しっせい)の女性ですが、身寄りもなく孤児院で育ったものの、気の良い友人や大家さんに囲まれ、小さな楽しみを見つけられる心を持ち、穏やかな日々を過ごしていました。

ある日、お勤め先の研究センターに「彼」が運び込まれて来るまでは。

ううううん!先日のお休みの日に観に行って来たのですが「シェイプ・オブ・ウォーター」は私にとって最高に好きな映画の1本になりました(≧▽≦)!

初めてこの映画の宣伝を目にした時に、大好きだった「海の砂漠」という漫画と、すぐに頭の中でリンクしました。

川口まどかさんの「海の砂漠」は、海洋研究者である母親から虐待を受け続けてきた少女が、研究所に捕らわれた半魚人と恋に落ちるというストーリーでした。

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シェイプ・オブ・ウォーターの主人公の一人であるイライザも文字にすると負の要素が強い設定ですが、映画の画面に登場する彼女はイキイキとしていて、負の要素なんてこれっぽっちも感じませんでした(*´▽`*)。

女性として一抹の寂しさはあるものの、隣人の売れない画家であるゲイの友人と一緒に彼の部屋で食事をして、大好きなミュージカル映画をテレビで見ながら二人でタップを踏んだり♪
お勤め先の研究所では面倒見のいい同僚の黒人女性が、何くれとなく彼女を気にかけてくれます。
研究所で権力や暴力を振るうイカレた軍人に口説かれた時にも、断固とした拒否を示します。

全編に漂うレトロな雰囲気と音楽。そして時折り示される格言のような言葉の奥深さや友人たちとの会話のセリフの面白さ。
特に黒人女性ゼルダのセリフが面白くて(≧▽≦)「うちの亭主はお料理を作っても美味しいとも何も言わないくせにオナラだけはシェークスピア並みに饒舌」とか(笑)。

友人たちや、半漁人である「怪物」を救う事に協力したロシアのスパイでもある研究者さんなども「脇役」という感じではなくて、人物が深く描かれていて説得力がありました。

それぞれに社会の中ではマイノリティー(少数派)で、決して生きやすくはないであろうに日常を謳歌することを忘れず、たとえそれが犯罪に加担することであったとしても、それぞれの良心に忠実に従い、綺麗で強くて孤独な魂たちが寄り添う姿は、本当に美しかったです(´;ω;`)。

監督のギルレモ・デル・トロはウェズリー・スナイプス主演の「ブレイド2」や「パンズ・ラビリンス」など過去作品も大好きな監督です(≧▽≦)。

ああ。レビューを書いてたらまた観たくなってしまいました(///∇//)。
時間を作れたらもう一度観に行きたいですね♪そのくらい、大好きな映画になりました。

いい映画に出会えますと、本当に心の財産になりますね(*´▽`*)。

りぼんコサージュ・ブローチ(オーロラクリアA)





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2017年11月30日木曜日

閲覧注意 映画「ジグソウ:ソウ・レガシー」


怖い映画や怖いお話が苦手な方は閲覧注意でお願いします。


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1作目から大好きになった「SAW」シリーズ。7年ぶりの8作目となる「ジグソウ:ソウ・レガシー」を先日観に行ってきました(*´▽`*)。

なんかこのレビューに笑顔の顔文字とか入れるとサイコパス感が出ますね(笑)。「(笑)」なんて入れるともっとサイコパス感が出ますね(≧▽≦)。
ホラーやスリラーが好きだと言うと、「よくあんな怖いものが見れるね」とか言われますが、あくまでもフィクションとして作品として見ているので無問題です(笑)。


ノベライズも全部読んだくらいSAWシリーズが大好きな私ですが、確かに巷のレビューと同じようにシリーズ後半にもなりますと人間が深く描かれる事が少なくなり、ジグソウに傾倒した異常者たちが劣化版コピーとして自分の欲望を満たしていくだけ。。。という風に見える事が多かったです。

ジグソウの基本的なストーリーは、人間の弱さというか脆さというか、その行為自体が「犯罪」でもないし「法に触れる」ことでもないなら「このくらいいいよね?」「みんなやってるしね?」「どうってことないでしょ?」と流される。
ほんの少しの親切心や思いやりがあれば回避できるのに、それを怠って自分の弱さに流されたが故に、誰かの命が失われてしまう。
「でも直接手を下した訳じゃない。(直接手を下した人もいますが)自分のせいじゃない。」と過ちと向き合う事も無い人たちに「ジグソウ」は罰を与えるのですが、生き延びられるチャンスも与えます。ジグソウの哲学に則ったやり方で。

んー。今回も個人的にはもっと人物を掘り下げて欲しかった感が否めないのですが、「元祖ジグソウ」であるジョン・クレイマー役を演じるトビン・ベルがやっぱり魅力的でした(≧▽≦)。低くてハスキーな声に酷薄そうな小さくて薄い唇。知的で奥深い瞳と狂気の表情。演技力の賜物だと思いますが、彼だからこそ「ジグソウ」の人物像が成り立ち、「SAW]シリーズがこれほどヒットして長く続いてきたのだと思います。(絶賛)

「生き延びる為にどこまで出来るか?」「同じ目に遭っている人達とどう向き合うか?」「自分も同じような過ちを犯してないか?」等々、SAWシリーズは観る度に人間の弱さにゲンナリし、それでも私に多くの事を考えさせてくれる映画です(*´▽`*)。





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2016年3月10日木曜日

映画「ディーパンの闘い」※ネタバレ注意

映画「セッション」は2015年5月に書いたのですが、

京都シネマ(京都市下京区烏丸四条下ル水銀屋町620 COCON烏丸3階)では
特別興行で3月11日まで上映されています。
混雑しているようです。

映画の内容や、ジャズのプロからの酷評もあったせいか?
ネットやメディアに取り上げられる事は少ないようですが、
「良いものは人に伝えたい」という、リアル世界の口コミって
すごい力を持ってますね。

映画記事を書かへん時にも、映画は観に行ってるのですが、
「ヘナチョコやなぁ」という感想しかなかったりもするので、
書いてません(笑)

今回の「ディーパンの闘い」は2月に観に行ったのですが、
考える事が多すぎて、なかなか書けませんでした(●´ω`●)ゞ

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

内戦中のスリランカで、希望もなく兵士として闘うディーパン。

内戦で家族を失った女性と少女との3人で
「家族」を装って祖国から脱出します。

脱出先は「内戦のない」「平和」であるはずのフランスはパリ。

闘いから逃れて辿り着いたはずの場所にも、
更なる闘いが待っていました。。。
言葉の壁。習慣の違い。そしてパリの密売組織による暴力。


ディーパン役の俳優さんは、
実際にフランスに亡命したスリランカ内戦の元兵士さん。

映画のオープニングとラストで流れる美しい音楽や歌声と、
ディーパンがパリでの闘いを心に決めた時に歌う、
戦闘意欲を鼓舞する為の野蛮で野卑な歌声との対比が、
とても切なかったです(ノ_-。)

暴力に晒された時、反射的に蘇る兵士の闘志。
家族と自分の、身を守る為の。


難民の問題、移民の問題、様々な問題が次々と浮かび上がり、
翻弄され、傷つけ合いながらも、
本当の「家族」になっていく3人。

目の前に山積みにされた問題は、
時間をかけてぶつかり合いながら、
リアルな人間同士の体温や愛情を感じる事でしか、
解決する方法なんかないのだなぁと思いました。
近道はない。

逆に、問題を共に乗り越えた人達にしか味わえない共同意識や、
深い繋がりによる安心感や満足感もあると思うので、
最終的には「問題があった」という事も、
受け入れて消化されていくのでしょう。

人間同士の深い繋がりでしか埋められないものって、ありますね。

ゾウの、どアップの映像が差し込まれていて、
何もかも見透かしているようで、
哀しみと怒りを湛えたゾウの目も、印象的でした。

いい映画だったと思います(*´▽`*)



離れたくない故郷を追われた人達が、
いつか故郷に戻れる日が来ますように。