いつだって、音楽は助けてくれた。
迷った時。悲しかった時。寂しかった時。
辛かった時。悔しかった時。
自分を許せなかった時。
暗闇の中で、一筋の光りさえ見えなかった時。
いつだって人生を併走してくれた。
そんな曲が、沢山あるという幸福。
そんな中でも、ARBというバンド、
石橋凌という人は、いつも私を挑発し続けてくれています。
「一緒にやろうよ」ではなく、
「俺はやる。おまえはどうなんだい?」と
ずっと問い続けてくれています。
じゅごんろ~どnote
迷った時。悲しかった時。寂しかった時。
辛かった時。悔しかった時。
自分を許せなかった時。
暗闇の中で、一筋の光りさえ見えなかった時。
いつだって人生を併走してくれた。
そんな曲が、沢山あるという幸福。
そんな中でも、ARBというバンド、
石橋凌という人は、いつも私を挑発し続けてくれています。
「一緒にやろうよ」ではなく、
「俺はやる。おまえはどうなんだい?」と
ずっと問い続けてくれています。
新宿LOFT |
石橋凌さんが何度もテレビやラジオで
話され続けてきたことですが、
ARBというバンドは、そもそもはアイドル的なバンドとして
売り出される予定だった為、
「政治的な事や社会的な事は一切、歌うな」と
禁じられたそうです。ラブソングを歌えと。
そういう歌を歌いたくて、海外みたいに日本でも
政治や社会を歌うバンドがお茶の間に入っていける、
そういう世界を目指していたのに。
会社の言うことを聞いて、ラブソングばかり歌えば、
それなりに売り出してもらえて、
それなりにお茶の間にも入っていけたでしょう。
でも自分の想いを捻じ曲げることはしなかった。
あっさりと会社を辞めて、ドサ回りの生活が始まり、
京都にも、磔磔や拾得というライブハウスを始め、
学園祭にも来られていて、よく聴きに行きました♪
新宿LOFT |
「狂いたくても狂えない奴。笑いたくても笑えない奴。
泣きたくても泣けない奴。
総ての、ロックンロール・キッズに贈ります。」
噛みつくように、叫ぶように、吼えるように、
覚醒しきった目で歌う石橋凌さんは、
今思うと、当時はめちゃめちゃ色んなものと
闘ったはったんですよね。
自分との闘いも含めて。
それは、12~13歳くらいのパンク少女だった私と、
対象は違っても、同じだったのかも知れません。
多くのロックンロール・キッズ、パンク・キッズも。
得体の知れない怒りを抱えて。
新宿LOFT |
普段はヘラヘラ教の教祖のように
ヘラヘラしている私ですが(笑)
何か事が起きると、反骨心がムクムクと湧き上がり、
「ああ。私の根っこは、
あのパンク少女の頃のままなのだなぁ。」
と、いつも思い知らされます(///∇//)。
新宿LOFT |
最近では俳優さんとしての石橋凌さんしか
ご存知ない方も多く、
ARBも「伝説のバンド」になってしまいましたが、
今も色褪せることなく、問い掛け続けてくれています。
「俺はやる。おまえはどうなんだい?」
磔磔 |
石橋凌さんの書かれる歌詞、歌う声には、
言霊(ことだま)があると、よく言われていました。
歌詞に書かれた犯罪や社会情勢に、酷似した現実が
後から追い付いてくるからです。
今になりますと、「言霊がある」と言われたことも
よく解ります。
それは「言葉が放たれている」から。
楽屋 |
古ぼけた写真ですが、昔はカメラマンさんが
写真をくださったりって事も、よくあったのです。
私たちが子供だったからかも知れませんが(笑)。
田中一郎 |
石橋凌 |
上の2枚も、ホールでのコンサートの時に、
たぶんプロのカメラマンさんに
いただいた写真。
新宿LOFT |
バンドから役者さん、そしてソロと、
転がり続けながら変化し続ける石橋凌さんは、
「表現者」を体現し続けはるのだろうなと
心強く、思います(*´▽`*)。
ARBを脱退された時、一部の方からは「裏切者」と
罵倒されはりましたが、
罵倒した方々も、悲しくて寂しかっただけなのでしょうね。
そのくらい、強い愛情があったというだけのこと。
大阪南港 |
大阪南港 |
暑かったなー。熱かった(笑)。
大阪南港 |
あ。私は当時も、写真を撮るのも撮られるのも
苦手だったので、友達が撮ってくれていました。
大阪南港 |
小学生の頃に、飛び抜けて大人っぽくて落ち着いた
同級生の男の子がいたのですが、
20代の時に、ARBのコンサートで、
その子とお互いに「あ!」ってなった時(笑)、
「ああ。やっぱりそういう子だったんだな。」と
思いました(笑)。
原田芳雄 田中一郎 |
松田優作さんや原田芳雄さんとも親交を深めた
石橋凌さんなので、ライブにも登場(笑)。
少し前に写真を整理していて、
そういえばARBや石橋凌さんのことを
ガッツリ書いたことが無かったなーと思って、
書きたかったのです(≧▽≦)。
「変人」という生き方にも書かせていただいた、
梅原猛さんもそうでしたが、
ARBというバンドと石橋凌さんも
確実に、私を作ってくださいました。
そんなリスペクトと愛を込めて、
書き残したかったのかも知れません。
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