メッセージや コメントをいただく中に
「じゅごんさんって 自由で良いですね」って
書いてくださる事が ちょこちょこあって。
「自由」って 何だ(・ω・)
じゅごんは 自分が 「自由である」とは思ったこともなくて
そりゃあ「吉野家さんを敵に回した女」 の記事にも
書かせていただいたように
空気が読めないとか
思ったことを言ってしまう って部分はあります
4・5歳の頃にも
祇園祭の人混みで
「ああ もう なんで こんな人が多いんや」
「もう ぶつからんといて」って
キレながら
親に連れられて歩いていたそうだし:(;゙゚'ω゚'):
同じ歳の頃に
中華屋さんの「珉珉(みんみん)」さんのお店の中で
「じゅごんは こんな汚いお店で
ご飯なんか食べへんでヽ(`Д´)ノ」って
散々 叫んで ごねた後に
出されたお料理を ひと口食べて
「美味しいーヾ(@°▽°@)ノ」って 叫んで
お店中を 爆笑させてしまったこともあるそうです・・・(;^ω^)
それでも 子供の頃から 「不自由さ」は
ものすごく感じていました。Σ(゚д゚;)
(どこがやねんですかね・・・)
今だって ブログでは
好き勝手に 好きなモノ アピールしてるし
書きたいこと書かせていただいてますが
(心の広ーーーい ブロ友さんたちの お陰です☆)
一応 会社員
一応 管理職
そんなに 自由に生きてる実感は
ないんですが
ただ こだわりや 大事なことや 大切なものが
他の人より 少ないのかなっていう風には
感じます。
自分の肩書きも 人の肩書きも
職業やなんかも
別に なんでもいいやんって感じです。
「探偵はBARにいる」って 映画で
「主義を通しすぎれば ソビエトだって地図から消える」って
セリフがあったのですが
納得の ひと言でした。
矜持は 持ち続けるだろうけど
それ以外のことは 大抵 どうでもいいんです。
いや・・・
単なる 面倒くさがり屋なんですけどね(≧▽≦)
たくさんの人が
自分で自分の首を絞めるように
自分で自分を 「不自由」にしてるなーっていうのは
とても 感じます。
「勝ち負け」論 好きな方も多いですけど
誰に対して 何に対しての
「勝ち負け」なんでしょう
他者に対しての意識の違いかもしれませんが
どうにも じゅごんには 解からなくて・・・
「人にバカにされた人が 人をバカにする」とか
ブルハの歌詞にもあるように
「弱い者が 更に弱い者を 叩く」とか
そういう 悪循環の 真っ只中にいる人も
多いような気がします。
悪いループは 自分のところで
断ち切った方が 気持ち良いのになぁ・・・
人に認められたいとか 人にどういう風に見られたいとか
「他者の中の自分像」を作り上げることに
何の意味があるのかな
自分が 気持ち良くなる為
他者を意識した前提なら
そんなのは
一瞬の快楽に過ぎないと 思うんですけどねー・・・
「どう見られたいか」ではなくて
「どうしたいか」って ことの方が気持ち良いと思うんですよね
うーん・・・人間性の違いとか 感性の違いとか
そんなもんじゃないと思う。
誰でも じゅごん程度になら
充分 自由になれると思うんだけどなあ・・・(・∀・)
自分を誤魔化し続けて
ひねくれて 何も見えなくなった人も
たくさん 見てきましたが
そういう風に なりたいですか
どうなりたいかは 自分が決める事で
それには責任も伴うけど
快楽を引き立てる 隠し味みたいなもんで。
みなさん きっと じゅごんなんかより
真面目で
世間様の価値観に
素直に従おうと されてる気がします。
じゅごんは 多分
「自由」なのではなくて
単に 変てこな 快楽主義者なのだと
思いますよ(°∀°)b
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