2019年5月30日木曜日

赤天馬印さんの強力ゴムが大好きです。


明日で5月も終わりだなんて
ビックリな本日でございます(笑)。

もうあと3週間ほどで夏至ですよ。夏至。
なんだか今年の速さが尋常では無いように感じるのは
たぶん私だけですよね(≧▽≦)。

ということで?
じゅごんろ~どのシュシュに使うゴムを
ご紹介したいと思います(*´▽`*)。

最近、よく買いに行っていた手芸用品屋さん数件が、
ことごとく閉店されてしまったこともあって、
初めてネットで買いました♪


いろいろなゴムを試してみましたが、
基本的に赤天馬印さんのゴムを使っています。

強力ゴムです。強そうな名前です。
いえ。実際に強いんです(`・ω・´)。

「赤天馬」も強そうな名前ですよね。
ええ。実際に強いんです(`・ω・´)。

そして強いだけではなくて、
伸び率250%というしなやかさ。

「伸び率250%」というのは、
2.5倍の長さまで伸びますよってことですので、
10㎝のゴムであれば、25㎝まで伸びるんですね。
20㎝のゴムであれば、50㎝まで伸びるんですね。

ブラボー(≧▽≦)。

岐阜県の多治見市で製造されているようですが、

あれ?(@ ̄□ ̄@;)!!

従業員数。。。29名???
え?
内パート6名?

え?(@ ̄□ ̄@;)!!

そ。。。そんなに、こじんまりと?


小さい頃から
「ゴムといえば赤天馬さん」でしたので、
もっと大規模に作ったはる会社だと
思い込んでいました(///∇//)。

でも、こじんまりと作り続けたはるからこそ、
品質を落とさず、
創業から70年以上も
愛され続けたはるのかも知れませんね。

「洗濯にもオゾン(日光)にも耐久性抜群であります」と
明記されています(≧▽≦)。

じゅごんろ~どのシュシュは
長く愛用してくださるお客様も多いので、
やっぱり「耐久性」大事です。

ちりめんの着物生地は、
生地そのものにも凹凸がありますので、
髪にしっかり掴まって落ちにくいのですが、

ゴムがしっかりしていることも大切なのです。

ということで、
赤天馬印さんの強力ゴムが
大好きです(≧▽≦)。




コーラルピンクのシュシュ(大)





じゅごんろ~どnote

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2019年5月23日木曜日

売約済み フェルトとスパンコールのバッグ


薫風が心地いい京都でしたが、
一気に暑くなってきました💦

昼夜の気温差が大きくて、体調を崩される方も多いようですので、
どうぞ皆様もご自愛くださいませ(*´▽`*)。



さて。今回もこのタイプのバッグを作らせていただいていたのですが、


手製のフェルトにスパンコールや
ビーズを散りばめたお花を作っていたバッグですが、
お蔭様で売約済みとなりました。

見つけてくださって
本当にありがとうございます(´;ω;`)。

仕上げまでもう少しかかるのですが、
完成間近の写真を見てくださって、
とても気に入ってくださいました(*´▽`*)。

お店には出品出来なくなりましたが、
ご容赦くださいませ。


「ありそうで無い形のバッグですね」と
言ってくださる事が多いのですが、
出来るだけ丈夫に綺麗に仕上げたくて、
ちょっと特殊な順序で縫っています。

その順序で縫いますと、ミシンとはいえ、
手に負荷が掛かってしまって💦

腱鞘炎持ちの手には、
なかなかの激痛さんが走らはるので(笑)
サクサクとは作れなくて、
申し訳ないです(´・ω・`)。

昨年から生活環境に変化があって、
腱鞘炎の痛みが出てしまう率が上がってしまって(笑)

「いつまで作れるかなー?」と
思うことも多くなりましたが、
手が動いて、目が見えるうちは
作らせていただきたいので、

本当に、こんなゆるゆるのお店や作品を
見つけてくださる皆様には
心から感謝しています。

本当にありがとうございます(´;ω;`)。

金平糖袋 はちみつ





じゅごんろ~どnote

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2019年5月19日日曜日

夢とうつつに生きる


「京都に暮らすということは、
夢とうつつ卍巴(まんじともえ)に入り乱れる
花あらしの中を、手さぐりで潜水するようなものだ。」

「夢とうつつの区別がつかない生を生きるということそのものが、
人生なのである、このみやこでは。」

京都には、源氏物語に登場する、
夕顔(ゆうがお)」という架空の女性のお墓があったり、
「ユウガオヒメの関係者のお墓らしい」という
石造りの五輪の塔をお世話して、
地蔵盆には毎年、お坊さんにその五輪の塔の前でお経をあげてもらい、
供養をしているという男性がいらっしゃったり。

「これが京都なのだろう。現実と物語の虚構が入り交じって、
もうひとつの現実をつくりあげている。
人々はどこまでが現実でどこからが虚構か、という区別に
おどろくほど無頓着である。
物語や歌の世界(夢と幻の世界)が染み込んでいない世界などは、
現実でも日常でもないとさえ思っているふしがある。」

「まさに能「半蔀(はじとみ)」のなかで、
夕顔の亡霊が雲林院の僧の前に現れて、
夢幻のごとく振る舞い、朝には消えてゆく、
その能そのものが、京のまちでは日常として行われているのだと
いってよい。

世阿弥のいわゆる夢幻能は、京都がつくったフィクションなのではなく、
京都の生そのものを描写したノンフィクションなのである。

京都に暮らすというのは、そういうことなのだろう。
東京に暮らすということとの決定的な違いが、ここにある。

表面的な現実、数字のデータによって把握される現実、
想像力の最小限化の世界・・・東京の生はそういう性質を持っている。

そして日本全国をその性質で埋め尽くそうとしている。
だが東京の生命観を無化しうる対極が、京都にはある。」

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少し前の紙の方の京都新聞に掲載されていた
京都大学教授、小倉紀蔵さんの”現代のことば”です(*´▽`*)。

京都に生まれ育ったものでは気付かないというか、
それを「当たり前」として受け入れてきたので、
こうやって言葉にしていただくことで、
やっとこさ客観視できる事も多いのです。

「京都に暮らすということは、
夢とうつつが卍巴(まんじともえ)に入り乱れる
花あらしの中を、手さぐりで潜水するようなものだ。」

うーむ。花あらしの中を、手探りで潜水するとは。
京都に暮らすということは、それほどに複雑怪奇に
見える方もいらっしゃるのですね(≧▽≦)。

風習みたいなものは、目に見えない世界があってこそ、
成り立っているような事って多いですもんね。

今気付いたのですが(笑)、
風習って、風に習うって書くんですね(*´▽`*)。
そよ風や強風、南風や北風。
色んな風が吹きますが、その風に習うってことなのでしょうかねー?
何度も何度も吹かれながら。

「人々はどこまでが現実でどこからが虚構か、という区別に
おどろくほど無頓着である。
物語や歌の世界(夢と幻の世界)が染み込んでいない世界などは、
現実でも日常でもないとさえ思っているふしがある。」

ええ。左様でございますとも(≧▽≦)。

つまらない事実よりも面白い嘘を」という
記事も書かせていただきました(笑)。

表面上の共通認識のみを現実や事実というなら、
それはとても、ちっぽけなものになってしまうと思うんですね。

データや数字や言葉や視覚情報では表せないものの方が、
遥かに多くて大きいからです。
心や体で感じることって。

夢かうつつか幻か。
なんだっていいと思うんですね(*´▽`*)。

その人の信じるものごとこそが、
その人にとっての世界。
こんな事を書くのは、京都に住んでいるからかも
知れませんが(≧▽≦)。

今日は日曜美術館エッシャーの特集が放送されたのですが、
だまし絵は、見る角度によって全く違うものが
見えたりするんですよね。

人間が見ている世界も、だまし絵のように
その人の見ている角度のようなものによって
全く違う世界が見えているのではないかなー?と
思うのです。

だまし絵の世界に入り込んでしまったら、
同じところをグルグル回って出られなくなるし(≧▽≦)。

夢とうつつの区別がつかない生を生きるということは、
違う角度で世界を見ることなのかも
しれませんね(*´▽`*)。






じゅごんろ~どnote

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2019年5月18日土曜日

荒凡婦(あらぼんふ)で行こう


なんですって?
もう5月の18日ですって?

(@ ̄□ ̄@;)!!

光陰が矢の如し過ぎて、
もう暦の意味も分からなくなってきた今日この頃でございます(笑)。
ひと月毎のカレンダーが、
まるで日めくりカレンダーのようで(≧▽≦)。

月日の過ぎる速さに圧倒されるものの、
周りからは相変わらず、
「マイペース過ぎる」と言われています(///∇//)。

なんなんでしょうか?自分では焦っているつもりもあるのですが、
人様の焦り方と、私の焦り方は違うのでしょうか?(≧▽≦)

そんなこんなな日々ですが?
昨日の紙の方の京都新聞に、女優さんである冨士真奈美さんの
インタビュー記事が掲載されていました。

冨士真奈美さんといえば、お若い頃の写真を拝見しますと、
それはもう、日本人離れしたゴージャスで品のあるお顔立ちで、
惚れ惚れとするような美しい女優さんです(≧▽≦)。

現在も華やかで美しいお顔立ちに変わりはないのですが、
バラエティ番組などでお見受けする天真爛漫な言動は
気取りの欠片も無く、
女優さんらしい、美しい強さを感じます(*´▽`*)。

そんな冨士真奈美さんがインタビューで、
「荒凡婦(あらぼんふ)で生きようと思っているんです」と
仰っていました。

俳人の金子兜太(かねことうた)さんに教わった小林一茶の言葉が
「荒凡夫」だそうで、
女性ですので、「夫」を「婦」と置き換えて。

「荒凡婦」の意味は、
「いつも自由で魂はさすらっていながら
平凡に暮らす」こと。

ご結婚をされていたのですが、
「エッセーに書いていた幸せな結婚生活なんて
うそばっかり。私は(夫の)顔色を見て、
合わせちゃう性格なのね。
それはいけないの。
自由というのが人間には本当に大事」と。

一度、不自由を経験されたからこそ、
自由の大切さを実感されての
「荒凡婦」なのだなーと思いました。

ご結婚をされて10年間、女優さんを休業されていたので、
「平凡に暮らす」ことの大切さも。

あらぼんふ。
なんだか言葉の音も、飄々として、自由で、
いいなぁって思いました(*´▽`*)。

魂は自由。
なんぴとにも拘束されず。










じゅごんろ~どnote

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2019年5月1日水曜日

どっこい根っこは生きている。



植物たちの植え替えを、ぼちぼちと進めています♪
葉っぱも茎も、茶色くなって、
「ああ。枯れてしもたんかなー?」と思えても、

土を掘って、根っこを取り出しますと、
生き生きとした白い根っこが出てくるんですよね(*´▽`*)。

上の写真の左側はチェリーセージ。
可憐な紅白のお花が咲きます。
元々、挿し木したものでしたので、
葉っぱも全て落ちてしまったから、
もうあかんかなー?と思いながら土を掘りました。

白くて生き生きとした根っこが出てくると、
ああ。ありがとう(´;ω;`)って。

右側はアリッサム。


1月でも、こんなに可憐に満開に咲いてくれていましたが、
全部、ドライフラワーのようになってしまって、
葉っぱも枯れていました。

それでもやっぱり掘り起こしてみますと、
根っこはツヤツヤと元気でしたので、
植え替えたらどんどん新芽と蕾まで付いてきました♪

なんとなーく、人間も同じやなーと思いました。
上辺は、枯れて精気も無く、
「早くあの世に行きたい」という人も、

魂は艶々と輝いたはるのを感じたりするんですね(妄想)。

ご本人は真剣で深刻なのだろうとは思うのですが、
私からしますと、
「そんなに美しいのに、何を言うたはるんやろー?」と
ただただ不思議に思うばかりで(笑)。

肉眼で見えているものと、
土の中に隠れている部分は、
全く違ったりするんですよね(*´▽`*)。

どっこい。根っこは生きている。
生きようとしている。

枯れた部分を整理して、
増えすぎた根っこも整理して、
土に戻せば、また新たな芽が出る。

植物はよく、人生に例えられたりもしますが、
ほんまにそうやなーと思います。

根を張る時期、新芽を出す時期、お花を咲かせる時期、
実や種を収穫する時期、

また新たに芽吹く為に、枯れる時期。

きっと、1年中お花を咲かせている植物なら、
お花が咲いている事が当たり前になってしまって、
土の養分もすぐに無くなるだろうし、
種や実を生らせる余裕も無くなるでしょう。

サイクルや波があるからこそ、
根っこも葉っぱも幹も育ち、
大きくなる。

根っこは土の中に在って見えませんが、
ちゃんと生きようとしている事を
自分の手で掘り出して、確かめることって
大切やなーと思います(*´▽`*)。





じゅごんろ~どnote

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