似てない似顔絵シリーズの三島由紀夫さんです(///∇//)。
リラックマの2Bの鉛筆で、しゃこしゃこ描きます。
(●´ω`●)ゞ
先日、
爆報フライデーというテレビ番組で、三島さんと東大生1000人との討論の様子が放映されたのですが、
それまでの私の、「三島由紀夫」という方に対しての概念を覆す映像でした(ちょっと大層に書きすぎ(≧▽≦))。
10代か20代の頃に三島さんの小説を読んだのですが、なんていうか装飾的?デコラティブ?な感じがしてたんですね。当時の雑誌に載っていた三島さんのお写真も、日本刀を構えて筋肉ムキムキの体を誇示しているような、装飾的でデフォルメされたようなお写真が多かったように思います。「ギャグかな?」って思ってしまうくらい、カッコつけてる感じだったんですね。
んー。何故?国内外の沢山のアーティストさんたちが三島由紀夫という方にそれ程までに惹かれるのか?が私には理解できなったんですね。
学生運動が盛んな時期の、血気盛んな東大生1000人を前に、たった一人で乗り込んだ三島由紀夫という人は、力んだ様子もなく、学生たちの思想へのリスペクトを語り、まっすぐな澄んだ瞳でご自身の思想を語り。その姿が映し出されますと、なんという純粋さと品なのだろう!ってビックリしました(笑)。
そりゃあ世界的なアーティストさんたちも惚れますよね(≧▽≦)。
三島さんのその映像での姿と、作品やお写真とのイメージが違い過ぎてビックリしたのですが、それこそが三島さんの表現の在りようであったのだなーと思いました。
現代から見ますと過剰なくらいの演出は、三島さんの純粋さ故の表現であったのかなーと。茶目っ気たっぷりの(≧▽≦)。
ざっと検索してみますと、肉体へのコンプレックスから体を鍛えたり武道を始められたり。それでもあまり武道も得意にはなれなかったようですが、三島さんにとってはそれは問題ではなかったのかも。
改めて顔写真を見ていますと、どれ程カメラを睨みつけていても、その瞳の愛くるしいこと(≧▽≦)。ちょっと不安げで頼りなげな目は、相手の警戒心も解きますよね♪
子供の様に言葉を装飾して遊び、子供の様に体現することを楽しみ、子供みたいに過剰な演出を喜んでいらっしゃったような気がします。
三島さんが愛されたもう一つの要因は、他者に対するリスペクトだと思うんですね。番組の中でMCの爆笑問題太田さんが、「ネットだと匿名で顔も出さないから”死ね”とか言えちゃうけど、誰にもバレないと思っていても、それを言った自分のことを自分は知ってる訳だから、”自分はそういう人間なんだ”ということを一生背負っていく」って感じの事を仰っていましたが、
「自分は良いことをしている」「正しいことを言っている」と、自己陶酔しながら全く悪気なく、無自覚に他者の尊厳を踏み躙るという行為もよくあることですよね。私も気を付けねばですが💦。
先日の紙の方の京都新聞に、「困窮者を招待するレストラン」というフランスでの活動が掲載されていましたが、「美食に縁のなかった人々が、給仕に上着を脱がせてもらい、一皿ずつサービスを受ける。尊厳をもって遇されることで、生きる自信を取り戻してもらいたい」という理念で、女優さんのマリオン・コティヤールさんもボランティアとして登録されています。
毎晩、70~80人の”社会的疎外者”である”招待客”にサービスを提供していらっしゃるのですが、「施し」ではなく、「招待されたお客様」としてもてなされることが、”どれほど心の救いになるか。”
他者をリスペクトすることは、自身のことをリスペクトすることでもあるのだなぁと思いました。三島さんはリスペクトすることでリスペクトされていらっしゃったのだなぁと。
媚でもなく、忖度欲しさでもなく。
主義思想に関しては今も「?」という感じなのですが(笑)、たぶん三島さんにとっても主義思想はたいした問題では無かったのではなかろうか?と思っています(≧▽≦)。