先日、
クリント・イーストウッド監督・主演の
「運び屋」を見てきました(*´▽`*)。
イーストウッドの監督作品は、
いつも心に引っ掛かりを残してくれて、
何かの折に、ふと、考える時間を与えてくれるのです。
映画を映画館で観た時間だけではなく、
見終えた後の人生にも影響を与え続けてくれる映画って
やっぱりスゴイなーと思うのです。
さて。
「運び屋」は、実際に麻薬の運び屋として10年間走り続けた、
90歳近い男性にインスピレーションを得て作られたそうです。
90歳近い年齢を迎えながら、何の為に犯罪に関わり、
何の為に大金を必要としたのか?
もしくは必要としなかったのか?
運び屋のアールを演じた88歳のイーストウッドは、
相変わらず骨太なガッシリとした体形で、
筋肉が落ちたからこそ、余計にその骨の太さが際立っていましたね。
アールは「ディリリー」と呼ばれる、
1日だけ開花する百合の花を育てていて、
コンテストでも優勝するくらい、その花を特別に愛し、
率直で機知に富んだ物言いや仕事熱心さで、
周りの人たちからも愛されていました。
家族以外からは。
実際には家計は火の車で、自宅は差し押さえられ、
家族の記念日や行事にも、仕事や外での付き合いを優先してきた結果、
娘さんは12年半も口をきいてはくれないような
家族関係となってしまっていました。
なんとか母とおじいちゃんを繋ごうとする心優しい孫娘の為に、
「車を運転するだけの仕事」をアールは引き受けます。
麻薬カルテルの運び屋の仕事だとも知らずに。
「危ない橋を渡るんだな」と最初に気付いた時は、
「やっちまったな」という表情をしたアールでしたが(笑)
朝鮮戦争の退役軍人でもあるアールは、徐々に腹を括って、
大金を得られる”運び屋”をエンジョイし始めます(笑)。
”ちょっとしたドライブ。ちょっとした旅。”のように。
警察が近づいてきても、持ち前の機転で窮地を脱し、
カルテルの人間たちからも、その度胸と運転の腕を信用され、
くだけた会話を交わせるようになったり、
麻薬カルテルのボスにも気に入られたり。
麻薬を運んで得られた大金で、家族や地域の人たちの望みを
叶えることが出来たアールでしたが、
運び屋の”見張り”として行動を共にして、
微かな「情」も通っていた若者に語ります。
「ボスはお前たちの命なんか何とも思ってやしない。
この仕事を辞めて、自分の好きなことをするんだ。」
アールが言った通り、カルテルの仲間内にボスは殺され、
後釜となった新たなボスは、アールの「自由なドライブ」を
許しませんでした。
そんな時、奥さんの病気が発覚し、
余命幾許もない事を孫娘から知らされたアールは
運び屋の仕事を中断し、
家で最期の時を待つ奥さんに付き添います。
散々、蔑ろにされてきたのに、奥さんは
「傍にいてくれて、とても嬉しい」と(´;ω;`)。
12年半、口をきいてくれなかった娘さんに、
仕事や外での付き合いばかり優先してきた事に対して、
「すべて、しくじった。すべて間違ってた。」と告白するアール。
娘さんは優しく言います。
「遅咲きなだけよ。」
奥さんの最後の1週間を共に過ごし、
家族とも和解できたアールでしたが、
逮捕の時は来てしまいます。
裁判では、高齢であることや、騙されていたからと、
無罪を主張しようとする弁護士さんを遮り、
「有罪だ」とキッパリと主張するアール。
娘さんたち家族は、「居場所が分かるだけましよね。」と、
泣き笑いしながら有罪判決を受け入れます。
刑務所でもお花を育てるアール。
「成功ってなんだ?」という記事にも書かせていただきましたが、
生きているうちは、全てが「経過」でしかなく、
「経験」でしかないと思うんですね。
成功も失敗もなく、正解も間違いもなく。
「しくじった」と思ったとしても、
その「しくじり」から何かに気付いたり、何かを得たり。
間違った事をしたからこそ、人に伝えられるものが在ったり。
「
しくじり先生」というテレビ番組もありますよね(笑)。
最後の1週間が、アールと奥様にとって、
とても幸せな時間であったのなら、
「すべて、しくじった」訳ではないですよね(*´▽`*)。
そう。遅咲きなだけ。
ハラハラドキドキのシーンもあり、
年老いて尚、カッコいいイーストウッドを堪能出来て
大満足の映画でした(∩´∀`)∩。