2018年6月3日日曜日

その「嘘」は何処へ向かうのか?

先日、NHK・Eテレのドキュランド「(不)正直な私たち~”ウソ”を巡る”本当”の話~」という興味深い番組が放送されていました。

「ウソつきは泥棒の始まり」「嘘も方便」「嘘から出た実(まこと)」「嘘八百」など、いい意味でも悪い意味でも「嘘」が使われている諺(ことわざ)があるように、
「ウソ」そのものが悪い訳ではないと思うんですね。

「子供にとって嘘は想像力を養う大事な訓練のひとつであり、やがて他人の気持ちを思いやる成熟した人間に育つために必要なもの」という解説もされていました。

映画「ポストマン」のように、全ての希望を失って、生きる気力も無くした人たちに、”希望”を与える様な嘘もあります。

誰かを庇って、自分が罪を引き受ける為の嘘もあります。

反対に、映画「SAW」のように、自分の利益や保身の為や、感情に流されてつく嘘もありますね。
そういう嘘をつく人は、ジグソウの哲学に則って命懸けのゲームに参加させられますが(≧▽≦)。


番組内では、まさに「SAW」で描かれている事が語られていました。
閲覧注意 映画「ジグソウ:ソウ・レガシー」」にも書かせていただきましたが、
ジグソウの基本的なストーリーは、人間の弱さというか脆さというか、その行為自体が「犯罪」でもないし「法に触れる」ことでもないなら「このくらいいいよね?」「みんなやってるしね?」「どうってことないでしょ?」と流される。

ほんの少しの親切心や思いやりがあれば回避できるのに、それを怠って自分の弱さに流されたが故に、誰かの命が失われてしまう。

「でも直接手を下した訳じゃない。(直接手を下した人もいますが)自分のせいじゃない。」と過ちと向き合う事も無い人たちに「ジグソウ」は罰を与えるのですが、生き延びられるチャンスも与えます。

インサイダー取引に手を染めた人も「誰もがやってる」「人を傷つけない」という理屈で自分の良心に蓋をしました。

どれだけの人が「狡いこと」をするのか?という実験でも、大きな誤魔化しをする人は少なくて、経済への影響も少ないのですが、小さな誤魔化しをする人はとても多くて、積もり積もって経済への影響も大きくなるという結果でした。

自分の所属する集団(社会)が、その「狡いこと」を容認する集団(社会)だと判断すれば、人が「狡いこと」を実行する事へのハードルは下がり、「みんなもやってるから自分もやっていいんだ」という考え方が生まれやすくなります。

では、どうすれば人は「狡いこと」をしないのでしょうか?
倫理教育の実験もされましたが、倫理教育自体に効力は無く、宗教の宗派も関係なく、最終的には本人が「自分の中のモラルを思い出すこと」が効力となりました。

では個人の問題なのか?というと、何らかの「社会」に帰属している以上、やはり社会の影響は大きくて、「周りの人たちを信用できる」と考えている人の割合が高いほど「狡いこと」をする人は少なくなります。
信頼関係が成り立っているから「誰もが狡いことをしている」という考えには至らないからだと思います。

行動経済学の実例も示されましたが、督促状に「ほとんどの人は期限内に納めています」と追加しただけで、早く納める人が増えて、税収が一気に膨れ上がったそうです。
これも集団(社会)の影響の大きさを表す実例だと思います。

最後の「自分や他者の狡さから身を守るには、自分たちの弱さを知る事」という解説は、私も常々思っていることで、

「生き延びる為にどこまで出来るか?」「同じ目に遭っている人達とどう向き合うか?」「自分も同じような過ちを犯してないか?」等々、SAWシリーズは観る度に人間の弱さにゲンナリし、それでも私に多くの事を考えさせてくれる映画です。
と先ほどのブログにも書かせていただいていました。

「嘘をつくこと」そのものではなく、その「嘘」が何処へ向かっているのか?
誰の為の嘘なのか?を考えることや、
そして自分の弱さと向き合う事から逃げないことが、大切なのかなと思いました。


金平糖袋(ミツバチ)




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