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2019年12月19日木曜日

承認は要らない。


先日のブログ、「隊長との再会」に
”承認欲求と呼ばれるような欲求も殆ど無い”と
書かせていただきましたが、

まあ誰かに承認してもらおうとする時点で
パンクロックじゃないですよね。(え?)

先日の紙の方の京都新聞にドイツ出身である
ハーマン・ヴァスケ監督の記事が掲載されていて、

「あなたはなぜクリエーティブ(創造的)なのですか」
という質問を、デビッド・ボウイやホーキング博士、
ネルソン・マンデラ、北野武、サーシャ・クロコヴァら
107人の人々にひたすらぶつけた映画が
公開されたということなのですが

”それぞれの回答は千差万別でも共通しているのは
「人と違うことを誇りに思っていること」
「誰かの承認なんて得てない。表現にはこれが大事なんだ」”

そう。承認は要らない。

お店を始めた頃にものすごい数のコンサルさんたちから
メッセージをいただいたのですが(笑)
皆さんだいたい書かれている事は同じで、
「ニーズがぁ~」って(≧▽≦)。

わかるんです。わかるんですけれども、
そんなことは大きな会社に任せればよいではないか!
と思ってしまうんですね。

個人商店で提供できるものと大きな会社では違うのです。
いえ。個人商店でもニーズに応えようと奮闘される方も
沢山いらっしゃるのは存じておりますが、

残念ながら私は「これを作りたい!」という欲求がないと
作れないタイプですし、
ただ「売れる」ものを作って「売る」ことが望みなら
市場調査をしてドンドン売れるものを作って売りますが、

なんか違う?って思ってしまうんですね。。。(///∇//)。

「作る楽しみ」「表現する楽しみ」があってこその
じゅごんろ~どワンダーランドで、それを失くしたら、
それは私の世界ではないんですよね。

当然ですが承認が必要とされる社会生活の中では
承認を得ることもありますが、自分で「承認を得たい」と
思うことはないような気がします。

自分で自分を承認していれば、人様からの承認を
必要としないのではないかなー?と思います。

「私って、こんな奴なんですよ。へへっ。」
って感じでしょうかね?(///∇//)
一人一人、みんな違う人間ですものね。

もちろん、作品を手にしてくださるお客様のことは考えますが
「こんな作品初めて見ました!」とか
「他の人とは絶対かぶらないので嬉しいです!」とか
素敵な冒険家であるお客様と出会えるのも、
「既存のニーズ」や、承認されることを期待して
作っていないからではないかなー?と思いました。

なんか偉そうに書いてしまって恥ずかしいのですが(笑)
なので、お店を始めて7年半?くらいになるのですが、
今でも買っていただけると、毎回ビックリしているのです。
(///∇//)

未知を恐れないお客様とのやり取りは、
本当に楽しいものなのです♪








じゅごんろ~どnote

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2019年12月15日日曜日

隊長との再会




アメーバでブログを書かせていただいていた頃から
読んでくださっている方はご存知かも知れません♪

縁結び応援隊隊長(≧▽≦)。

ブログを書き始めた2011年からのお付き合いですので、
かれこれ8年。。。もうじき9年でしょうか。

隊長も私も、承認欲求と呼ばれるような欲求も殆どなく(笑)
ビジネスライクなことも求めていませんでしたし、
こじんまりと心の交流を楽しんだり、一緒に考えたりすることが
楽しいと思えるタイプですので、
お互いのブログにコメントし合ったりして、
とても仲良くさせていただいていたのです♪

京都のメロンパンには白あんが入っている」というブログでも
”宮城県のブロ友さん”と書いているのは隊長のことです(笑)。

隊長もアメーバブログは4年ほど更新されていなかったですし、
私も「チーム天真爛漫」とゾンビ村からの脱出
書かせていただいたようにアメーバから脱出しましたので(笑)、
その間は全く交流は無かったのですが、

この度、隊長とTwitterで再び言葉を交わすことが出来て、
本当に嬉しかったのです(≧▽≦)。

不器用なくらい真っすぐで朴訥で誠実なところは
全く変わらずに、何目線?って感じですが(笑)
なんだかひと回りもふた回りも大きく、
たくましく頼もしくなられたように感じて、
これまた本当に嬉しかったのです(´;ω;`)。

「島田飴」に関しても、「飴を買えばご縁のご利益がある」
などとは謳わず、「行動すること」の大切さを書かれています。

ああ。やっぱり誠実な方だなと、改めて思いました。

「ご縁」というものは無理に起こすようなものではなく、
欲も得もなく動いていたら、なんかいつの間にか?
って感じですよね(*´▽`*)。

ご縁ご縁と求めるようなのは、なんか人様や何かを利用するような
不穏さを感じて苦手なのですが💦

こんな風に、また繋がれるご縁もあるのだなーと
思いました。

「世の中には二種類の人間がいる。○○な人間と××な人間だ。」
という言い回しがありますが、
駆り立てられる何か」という記事にも書かせていただいたように
私はこう、うわー!っと何かに突き動かされるというか
駆り立てられることがあるんですね(笑)。

なんでそんな無茶を、とか、そんなことして何になるの?って
言われるようなことである場合が多いのですが、
どうにも止まらないんですね(≧▽≦)。

大人になってから「駆り立てられない人」が存在するというか
ほとんどの方が駆り立てられたりなんかしないのだということに
気付きました(///∇//)。

ほとんどの方が駆り立てられたりしない中で、
隊長は「駆り立てられて動く」タイプの方だなーと
秘かに認識しておりましたので(笑)仲間だー!(ノ´▽`)ノって、
勝手に思っていたりもしたので

今回の再会は本当に胸が温かくなる感じの
嬉しさだったんですね♪

生きているうちに出会える人って、
世界人口から見ればそんなに多くはないですが、
素敵な方々と巡り合える人生で
本当に良かったなーって思います(*´▽`*)。






じゅごんろ~どnote

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2019年12月9日月曜日

姿のある声


10日くらい前まで、「なんて暖かいんだ!」
と思っていましたのに、
急に耳が千切れんばかりの寒風が吹きましたね。

体調を崩される方も多いようですので、
皆様もどうぞご自愛くださいませ。

少し前の紙の方の京都新聞の、
詩人でもあり作家でもある小池昌代さんの、
(絶賛”の”が多いですね(笑))
大好きな連載「股旅日記」に書かれていたのですが、

小池昌代さんがある大学にお勤めだった時、
身体に障害を抱えた「A先生」のお話です。

「先生は、いつも大きく肩を揺らしながら、
一生懸命、控室へ入って来る。
印刷機で資料を作成するのが、少し難儀なご様子に見えたので、
お手伝いしようかと、一度、声をかけたが、
大丈夫ですよとおっしゃる。
確かに私がおせっかいだったことがわかって、
以後は慎むようにした。

それでも時々、苦虫をかみつぶしたようなお顔で
天井を睨んでいることもあった。

ある日、A先生が他の先生と楽しそうに
お話しなさっている声が聞こえてきた。

ぞわっとするほど深い声。
井戸を覗き込むような深遠な気持ちになって、
思わず耳を傾けていた。

話しの内容はつかめなかったが、それでまったく構わなかった。
私は内容でなく、先生の「声の姿」とでもいうものに
心うたれていたのだから。

A先生は男性だが、声には人を癒し、包み込む、
暖かい母性が感じられる。
声の源を訪ねていったのなら、そこには暗く澄みきった
真清水がわいているんじゃないか。

だがなんと孤独な声だろう。
相手がいても混ざらない。

ふと、先生の来し方を思った。
声はなにも、魂を映す鏡ではないけれど、
どんな生き方をしたら、
あのような深々とした発声にたどりつくのか。

長く生きて汚れず、気高くひょうひょうと、
そしてやさしく。」

このコラムを読んでいて「A先生」のお声や、
「来し方」に、想いを馳せますと、
しんしんと降り積もってゆく真っ白な雪の
イメージがしたんですね。「声の姿」が。

暗い夜を雪明りで照らしながら、静かに厳かに、
ただただしんしんと降り積もってゆく真っ白な雪。


確かに声に姿を感じることがたまにあって、
最近ではバスケットボールの八村塁くんの声ですね。


似てない似顔絵シリーズの八村塁くんです(///∇//)。
スーツフェチとかじゃ全然ないんですけど、
アルバのスーツ姿、カッコ良かったですよね♪

八村塁くんの声がスポーツニュースで流れてきた時、
新聞を読んでいたのでテレビ画面を見てなかったんですね。

深くて朗々たる声なのに、軽さと爽やかさがあって、
「黒人さんの歌手の方かな?」と思って
テレビ画面に目を向けますと、八村塁くんでした。

幾つもの山や川や草原や密林を越えて来て、
人生半ばを過ぎた、壮年の男性の声だと思っていたので、
ちょっとビックリしました(≧▽≦)。

まだ21歳の青年なんですよね。
「姿のある声」の方なのだなーと思いました。

就職して間もない頃に電話応対の研修で、
「こういった声のトーンでお話をすると、
先方に心地よく感じていただける」とか、
いろいろと教わったことを思い出しました。

頭の骨格が似ていると声も似るのですが、
言葉遣いや言葉選び、発声の仕方、表情などによって
与える印象は全く違うものになるんですよね。

電話越しでも相手の方の表情って、
なんとなくわかりますよね。バレバレです(笑)。

外見と声の印象が全く違う方もたまにいらっしゃって
面白いですよね(*´▽`*)。

A先生のような声の姿にはなれそうにもありませんが(笑)
いつか「姿のある声」になれたらいいなーって思います。
たとえどんな姿であっても(≧▽≦)。

恐ろしいといえば恐ろしいのですが(笑)
結局はどこもかしこも内面が全て映し出されるし、
見る人が見れば、全ては透けて見えるんですよね。

取り繕えば、取り繕っていることも透けて見え、
上辺を装えば、上辺を装ってることも透けて見え。
探ったり疑ったりしてる訳ではなく、
もう見えてしまうんですよね。

声にさえも、魂が現れる。
ひえ~~~!(笑)
逃げも隠れも出来ないってことですよね(≧▽≦)。

どの道、まな板の上の鯉?
違う?(///∇//)





じゅごんろ~どnote

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2019年11月30日土曜日

富司純子さんと殺陣師の本山力さんが素敵過ぎる件。



京都東急ホテルさんの紅葉です♪
綺麗でしたよー(≧▽≦)。

『京都千年、文化の「道」~時代劇と京都・太秦』
の文化講演会に今回も参加させていただくことが
できました(∩´∀`)∩。

女優さんの富司純子さんも来られるということで、
多数の方が応募されるだろうから、
今回は行けへんかも知れへんねーって
ファミリーと話していたのですが

有難いことに今回も無事、
当選することができました(●´ω`●)ゞ。


「富司純子さん」と申しますと、
整ったお顔立ちに、お嬢様らしい
おっとりとした風情がお在りで、
「映画スター」というイメージしか無かったのですが、

後ろの扉から登場された富司純子さんは、
めちゃめちゃ綺麗で小さなお顔で
そしてとても腰の低い方でした(*´▽`*)。


じゅごんの似てない似顔絵シリーズ(笑)、
緋牡丹博徒のお竜さん」を演じられた時の
富司純子さんをイメージしました(///∇//)。

富司純子さんといえば「緋牡丹博徒のお竜さん」
なのですが、
映画を観る人が減っていた時期で、
「こういった映画であれば人が入る」ということで

同じような映画と役柄ばかりで嫌だったと(笑)
とても率直にお話されていました。
ご結婚の決意の裏には、
一旦、映画界から離れたいという気持ちも
後押ししたと仰っていましたね。

鶴田浩二さんや高倉健さん、山田五十鈴さんなど、
往年の大スターとのエピソードや
ご家族や歌舞伎のことなど
沢山のお話をしてくださいましたが、

なんというか気取りも衒い(てらい)も無く、
しっかりとした芯がお在りで、
ねっとりとした色気のあるお声なのに、
誠実で率直なお話ぶりは、
まるで少女のようだなーと思いました。

「若い方を押しのけたり、顔を突っ張らせてまで
出ようとは思いませんが、
高齢化社会でもある訳ですから、
もっとその年齢なりの、映画があれば
いいなぁと思いますね。」と仰っていました。

お着物で登壇されていたのですが、
流れるような所作や、媚の無い笑顔で、
とてもとても素敵な女優さんでした(≧▽≦)。

そして殺陣師(たてし)の方々の登壇もあり、
殺陣とは時代劇の中で行われる
いわゆる「チャンバラ」なのですが、

「舞踊」と「武道」を融合させた、
様式美であることなど、
こちらも沢山のお話を聞く事ができました♪

登壇された殺陣師さんの中でも、
私の目が釘付けになったのは、
本山力(もとやまちから)」さんという方で、

一番現役バリバリで、ドラマや映画で
活躍されているという紹介でした。

堂々たる体躯に、強面の風貌なのですが、
笑顔は子供さんみたいに嬉しそうで(笑)、

「この形(かた)は、二枚目(イケメン)が
主にする形です。」
と言われる刀の構えを実演される時に、
「え。ほな僕、やったらあかんのん。。。?」って
(≧▽≦)。

実際の殺陣の実演をされる時には、
全身からピリリとした気合が発せられるのですが、
堂々とした立ち姿や殺陣からも
大きさや温かさが伝わってくるような
とても素敵な方でしたよ(*´▽`*)。



本山力さんのショートムービー
見つけてしまいましたっ(≧▽≦)。

ムービーのネタバレしてしまいますが(笑)、
最後に斬られて倒れはるのですが、
その時に、
「俺にはいつも、大空が見えている」って。

そのセリフが、なんか沁みましたね(´;ω;`)。

きっと沢山のことを呑み込んで来られたと
思うのですが、
呑み込んできたことに屈することなく、
純粋な気持ちを保ち続けることは、
並大抵では無いように思うんですね。

富司純子さんも本山力さんも、
それぞれに立場は違えど、
沢山の物事を
ご自身で消化して来られたのだろうなーと。

映画は「写真が動く」から「活動写真」と呼ばれ、
映画製作に携わる方々は「活動屋」と
自ら名乗られたり呼ばれたり。

芸術やイデオロギー、個人的な思想やら哲学、
様々な「熱」を映画に懸けた人々の時代が
ありました。

その「熱」は、色や形を自在に変えながら、
それでも人々に何かを語り続けていくように
思います。


講演会の帰りは西本願寺さんの前を通って
写真をパチリ。
ちょうど西日が残っていたので、
太陽曼荼羅も綺麗に写りました♪


JR京都伊勢丹さんで、大好きな寿司清さんの
お寿司をいただきました♪


双子に写った京都タワーです(笑)。
京都駅周辺もイルミネーションがキラキラしてて
とても綺麗でした(∩´∀`)∩。

なんだかとっても盛り沢山な一日を過ごした気がします(笑)。
楽しくて、たくさん感じて、
大満足の一日でした(≧▽≦)。

追記:本山力さんのWikipediaによりますと、
なんとなんと!元はハードコアパンクバンド「DEEP THROAT」で
ドラムを叩いていらっしゃったと(≧▽≦)。
道理でグイグイ惹きつけられたはずです(笑)。
パンク繋がりとは、嬉しいですね(∩´∀`)∩♪





じゅごんろ~どnote

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2019年9月22日日曜日

「国」という制度


にわかラグビー観戦者のじゅごんです。
どうも(≧▽≦)。

ルールすらよくわかりませんが、
やっぱり世界レベルのスポーツは迫力があって、
何も分からなくても伝わってくるものがあると
申しますか。

何かを世界レベルまで極めることって、
私のような凡人以下の人間にとっては、
途方もない努力をされてきたのだろうなと
気が遠くなるような想いで観戦してしまいます。

そしてその分、沢山のものごとを放棄されてきたのだろうなと。

それ故の純粋な力?のようなものを感じて、
見ていても清々しいのですよね(*´▽`*)。
気持ちがいいのです♪

昨日の紙の方の京都新聞夕刊に、
神戸親和女子大教授、スポーツ教育学・身体論の
平尾剛さんが「現代のことば」に寄稿されていたのですが、
一部を抜粋させていただきますと、

「ラグビーは他のスポーツとは異なり、外国籍でも
その国の代表選手になれる。

ちなみにイングランドで行われた2015年のW杯では、
アルゼンチンを除くすべての出場国に
外国籍の選手が名を連ねていた。

つまりラグビーでは国籍が代表選出の絶対条件ではなく、
当該国に縁があるものを含んだチームを
代表とみなすのである。

歴史を振り返れば、国家という枠組みは
人為的に作られた制度である。
ウェストファリア条約を締結した1648年以降の
主権国家体制のもとで生まれた概念であり、
人類史を見渡せばたかだか500年にも満たない、
きわめて新しい考え方なのである。

その枠組みにおいてもたらされた二度の世界大戦を
私たちは忘れていないし、
国家間をめぐって政治や経済などで摩擦を生みだしているのは
記憶に新しい。

国際法による便宜上の線引きが、
個々の生活レベルにおいて分断を作り出そうとしている現状には
思わず目を覆いたくなる。

一人の人間が文化の違いを乗り越えるのは、
言葉でいうほど簡単ではない。
様々な壁を乗り越えた彼ら一人ひとりの
心の動きを追っていると、
応援する気持ちがますます湧いてくる。

国籍を問わないチームを想定する
ラグビーというスポーツは、
私たちが直面している多様化する社会での
然るべき振る舞い方を提示してはいないだろうか。

前回大会直前までキャプテンを務め、
多国籍の選手たちを束ねた廣瀬俊朗氏の言葉、
「常に、寛容でありたいな、と」に
すべてが集約されていると思う。」


「国」という漢字は「國」の略字で、
「國」は”矛(ほこ)”の象形と”村”の象形から
「武装した村」=「國」として出来た漢字です。

漢字の成り立ちからして、戦う気満々やん!って
思いました(笑)。

500年程度の歴史しかないなら、もうそろそろ、
「主権国家」という制度を放棄してもいいのではないかなーと
思いました。

移民の方々や難民の方々のこと、犯罪など、
様々な問題はありますが、
そもそもその問題も「国」という制度から
派生しているものも多いと思うのです。

移動手段も手軽になり、
ドローンでの移動が可能になる日も遠くないでしょう。
情報もあっという間に手に入れられます。

ふと50年後のことを妄想してみたのですが、
日本で毎日量産されているブログやYouTubeを、
人口の減った、若者の減った日本で、
いったい誰が読んだり視聴したりするのかなー?と。

50年後、100年後の子供たち。

現在の変化の速度を思いますと、
50年後でさえ想像もつきませんが、
人間の造り出した概念は、
どんどん崩壊していくように思います。

様々な社会制度が崩壊したように、主権国家制度も
崩壊する時は、それ程遠くないような。








じゅごんろ~どnote

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2019年9月20日金曜日

この世界で起きていること


何度読んでも泣けて泣けて。
鳩尾の辺りが熱くなって、胸がギュッとなって。

書こう。書きたい。書かねば。
そう思っても、どこか混乱してしまって、
1年半後の今日に読んでも、また泣けて泣けて。

昨年の3月28日、水曜日の京都新聞に載っていた記事で、
島の診療所の所長さんへのインタビューです。

===========

イタリア南端のランペドゥーザ島
チュニジアから100キロ余りの距離にある、
地中海に浮かぶ人口6千人弱の島。

アフリカから一番近い「欧州」として、
命がけで海を渡る難民の方々の希望の島なのですが、
粗末な漁船に沢山の人が乗り込むため、
遭難が絶えません。

2013年10月3日には、島を目前にしてエンジンが故障した漁船で、
救助を呼ぼうとして布に付けた火が燃料に燃え移り、
アフリカ各国から乗り込んでいた人々500人余りのうち、
368名が死亡する事故が起きました。

続々と運ばれる遺体の検死に当たっていた島の診療所の所長、
ピエトロ・バルトロ医師が、ある若い女性の脈を確かめた時に
「生きているぞ」と、はっとします。

蘇生措置がとられた女性の弱かった脈拍が
規則正しく打ち始めた時、
診療所内のスタッフの歓声が上がり、と同時に、
誰もが泣いていました。

「海難事故ばかり注目されるが、難民にとり海を渡るのは
旅路の最後の関門にすぎない。
私たちの想像を絶する最悪の試練は、船に乗り込む前にあるんだ」

ソマリア女性のファドゥマは、
武装した男たちが自宅に押し入って来た時、
夫は必死で命乞いしましたが、
ファドゥマと4人の子供たちの目の前で、
首を切り落とされました。

ファドゥマは出産で脳卒中を起こし半身不随で、
働くことも、体を売ることさえも無理でしたが、
子供たちを養う為に、どんな低賃金でもいいと
サハラ砂漠を越えて、地中海を渡って、島に辿り着きました。

「何という勇気だろう。世界は難民を”数”でしか見ない。
でも、子供の為なら命も危険にさらす。
私たちと同じ夢を持った人々なんだよ」

あるシリア難民の若い夫婦は、3歳の男の子と、
9ヵ月の乳児を連れて船に乗り込みましたが、
遭難して海に投げ出されます。

夫は、乳児を抱えた奥様と3歳の男の子を
左右の腕で支えていましたが、
海が荒れ始め、全員が溺れる危機にさらされた時、
夫は、男の子と繋いでいた手を放します。
奥様と乳児を救うための、とっさの選択で。

男の子の小さな体はゆっくりと沈んでいきました。
夫婦と乳児は生き残りました。

夫婦から話しを聞いたバルトロ医師は、号泣しました。

____________

ランペドゥーザの人々は、難民の方々を抵抗なく
受け入れているようにみえるのは何故なのか?

「ランペドゥーザは漁師の島だ。私の父もそうだった。
漁師というのは、海からやって来るものは
何であれ、拒まない」

バルトロ医師によりますと、地中海の対岸リビアでは
同じ難民でも黒人さんは人間扱いされず、
女性は更に下に見られる。

女性たちの中には、リビアでレイプされ、
妊娠させられた例は数知れず、
難民船の中で出産し、へその緒が繋がったまま、
母子ともに息絶えていたこともありました。

「でもね。この島にたどり着いて精神に異常を来すのは、
男性だけだ」

男性たちは島に到着すると、つらい旅が終わったと思い込みますが、
欧州での再出発までには、更に長い過程があることに
心が折れてしまう人がいる。

「ここへ至るまで、男とは比較にならない
苦難を経てきた女たちは、
そんなことにはへこたれない」

2016年10月3日。ちょうど3年前の事故で、
検死中に生存を確認した女性が、バルトロ医師の前に
救命のお礼に現れました。

スウェーデンで結婚をし、2人目の子供を妊娠中で。

「素晴らしく美しい女性になっていた。
仕事を辞めたいと思ったことが何度もあるが、
こうした経験があるから続けられる」

______________

ランペドゥーザ島は、世界に名だたる絶景の地。
6千人弱の人口が、夏には2万5千人になります。

難民船が到着しますと、直ちに収容センターに運ばれ、
旅行者の目に、その姿が映ることはありません。

楽園と、難民の島という二つの顔を持つ島。

「この二つは決して交わることがない。
まるで欧州の隠喩だ」
と、島を舞台にした記録映画「海は燃えている」を
制作したジャンフランコ・ロージ監督は評します。

闇を見まい、見せまいとする仕組みは
「豊かな国の隠喩」と言い換えてもいい。

「文明社会の真ん中で、難民の悲劇が起きていることを
知ってほしい。
われわれは、この事実に恥じ入るべきだ」
とバルトロ医師は語ります。

============

幼稚園に通っていた頃、お寺が運営されていた園でしたので、
お坊さまがお話をされる時間もあって、

その中で、「アフリカという国では、
日本のように蛇口をひねればお水が出てくるような環境はなく、
あななたちと同じくらいの歳の子供たちも、
井戸から重いお水を運んでいます。」
というようなお話をされたことがありました。

その井戸すら無く、清潔ではないお水を飲んで、
命を落とす子も少なくないということも。

4歳くらいの子供でしたが、日々の中で、
「なんでご飯が余っているとこがあるのに、
ご飯が食べられへん人がいたはるの?」とか
疑問に思っていた頃で、

アメリカのテレビドラマを見て、
食べ終えたお皿に残っている食べ物を、
フォークでゴミ箱に捨てたはる場面に
ショックを受けてた頃でもありました。

アメリカの人は、残り物を食べはらへんのは何故?
食べられる食べ物を、ほかさはるのは何故?
あんなに大きな冷蔵庫もあるのに?(´・ω・`)

食べ物をいただくことは命をいただくことなのに?
なんでなんやろう???

大人になった今も、
賢くて立派な人たちが国を運営したはるはずなのに、
なんでいつまで経っても、ご飯が余っている国と
ご飯を食べられない国があるのか?

誰が創ったものでもないのに、海や山や土地を
取り合うのか?

私には理解できないことばかりです(´・ω・`)。

でも何かしたい。
微々たることしか出来ませんが、
お金を送ることと、自分の心を平和に保つ努力をすること。
闇を、見て見ぬふりをしないこと。

私は、この世界を愛しています。






じゅごんろ~どnote

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2019年9月9日月曜日

コンプレックスの美しさ。マリリン・モンローという女優


重陽の節句の本日も暑かった京都です💦
最高気温36.9℃もありました💦

皆様、お疲れさまでした(。-人-。)。
外でのお仕事をされている皆様には特に、
お疲れ様でございました。


そんな本日も似ていないのですが(笑)
私の脳内マリリン・モンローということで
ご容赦くださいませ。

マリリン・モンローに興味を持ったのは、
大好きなARBというバンドの曲に、
モンローがモチーフになっている曲が幾つかあって、

それでモンローの出演作の映画を
真剣に観てみたりもしたのですが、

んーーーー。。。
いまいち、その良さが私には解からず、
私が女性だから解らないのであろうか?
と思ったのですが、

古本市でマリリン・モンローの写真集を見つけて、
パラパラとめくった時に、
「うわあ!なんて可愛くて素敵な人なんやろう!」
って気付きました(笑)。

モンロー自身も、
「写真を撮られるのが好き。
実際よりも、よく撮ってもらえることが多いから」
と仰っていたそうですが、

フォトジェニックと申しますのでしょうか?
うわあ♪綺麗♪可愛い♪
そして飽きないのです。


モンローの魅力に目覚めてから?
古本市や本屋さんでも沢山の写真集を買って、
一時はコレクターと化していました(笑)。

一番多い時は30冊くらいあったと思います。
今も数冊は手元にあって、文庫本タイプは、
待ち時間のある場所へ行く時も
よく持って行って眺めていました。

ここから女優さんの写真集にハマり(笑)、
国内外を問わず、素敵だなぁと思う女優さんの写真集を
沢山買って眺めていました(笑)。

そんな沢山の女優さんたちの写真集も、
差し上げたり、古本屋さんへ持っていたりして、
もうすっかり手元には無くなってしまったのですが、

何故かモンローの写真集だけはあります。

他の女優さん達と何が違うのかなー?って
見比べてみたこともあって(笑)

圧倒的な、「無垢」と呼べるくらいの純粋さと、
無邪気さが、「品」の中にあるって思ったんですね。

女優さんとしてデビューする前のモンローも、
とても素朴でありながら、
品があって無邪気な感じがするんですね。

あの時代に、父親のいない子として育ち、
何組もの里親を転々としたとは思えないくらいに。

昔読んだ、劇作家のつかこうへいさんのエッセイに、
「杉村春子みたいな女優は、上手いけれども味気ない。
マリリン・モンローは、芝居はとてもヘタだったけれど、
映画のスクリーンの中に飛び込んで行って、
助けてあげたくなるような女優さんでしたよ。」
って感じのことを書かれていて、

モンロー自身は、自分の演技に自信も持てず、
本気で勉強しようとして、
有名なアクターズスクールにも通いましたが、

御本人が「コンプレックス(劣等感)」に感じている部分ほど、
ある種の人たちにとっては、
とても魅力的に映るんですよね(*´▽`*)。

天性の、持って生まれた純粋性や無邪気さと、
コンプレックスこそが、
彼女をスターにしたのかもなーって思いました。

今日の紙の方の京都新聞夕刊に、
詩人であり、作家でもいらっしゃる小池昌代さんの
「股旅日記」という連載に、

「人は人の何に惚れるか。
その人がその人であることの要に惚れる。
その要とは、美点というよりむしろ、
その人が隠したいような弱みや欠点であることが多い。」

と書かれていて、「おおっ!」と思いました(笑)。

「惚れる」ってそういうことですよね(≧▽≦)。
だからこそ、その人のことを受け入れられるというか。

没後50年以上経っても尚、
多くの人々にインスピレーションを与え続ける
マリリン・モンロー。

私も彼女のお蔭で克服できたコンプレックスが
幾つかあります(///∇//)。

でも劣等感は、時に人を、
とても美しく見せるものなのです。

その人間らしさや、コンプレックスと向き合おうとする
葛藤から生まれる心の襞こそが
美しいのかも知れませんね(*´▽`*)。






じゅごんろ~どnote

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2019年8月30日金曜日

髪を贈ってから1年2ヶ月(ヘアドネーション)とシルクのスカーフのリメイク


Japan hair donation & charityさんに依りますと、
まだまだウィッグを待っている
18歳以下の子供さんたちが、
246人いらっしゃるそうです。

昨年の6月にお尻の下まであった髪の毛を
50㎝以上カットしてもらって
ヘアドネーションに参加させていただいたのですが、
あれから1年2ヶ月が経ち、


かなり伸びましたよ♪

これまでの経過はこちらです↓
髪を綺麗に伸ばす方法を模索中。
髪を贈る

白髪も増えましたし(笑)
相変わらず円形脱毛症にもなりますが(笑)
寄付するのには支障はありませんので、
引き続き、今回も50㎝以上の長さを
贈れるように伸ばし中です(*´▽`*)。

髪の毛が無くても、
ジロジロ見られないような世界であればいいと思いますし、
髪の毛が無くても、
へっちゃらな子供さんたちが増えてくれればいいなと思いますが、

現時点で、そうではない以上、
やはり髪を必要とする子供さんたちが沢山います。

病を得て、
不安や痛みや辛さを受け入れている子たちが、
少しでも心が軽くなったり、
おめかしする楽しみを持てたりするなら、
それはとても素敵なことだと思います(*´▽`*)。

あ。私の着ている服は、
ファミリーからもらった、
古いシルクのスカーフをちくちくと縫って、
リメイクした部屋着です(笑)。

2枚のスカーフを合わせて、
頭を通す所と腕を通す所だけを縫い残して、
4カ所縫うだけの貫頭衣タイプです。
リメイクするのも着るのも簡単です(笑)。

通りすがりのご年配の女性が、
スカーフをカチューシャのようにして使われていて、
うわーーー!可愛い!私もしたい!と思ったのですが、
頭の形が絶壁で(笑)
スルッと取れてしまうので無理だったのです(///∇//)。

でも古いスカーフだけど肌触りは良いし、
柄も綺麗だし、身に付けたいなーと思って、
リメイクしましたよ♪

四角く畳んで置いておけますので、
保管も嵩張りません♪
軽いので着心地も良いですよ(∩´∀`)∩。

話しが脱線するのはいつもの事ですが(笑)
すみません(●´ω`●)ゞ。

人によるみたいですが、
だいたい3年で50㎝くらい伸びるそうですので、
あと2年弱、お手入れは椿油とヘアクリームだけですが、
出来るだけ痛めないように伸ばしたいと思います♪

髪の毛の寄付に関しましては
ジャパン・ヘアドネーション&チャリティさんの
ホームページに詳しく記載されています。
https://www.jhdac.org/







じゅごんろ~どnote

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2019年7月27日土曜日

石橋凌という人。ARBというバンド。


いつだって、音楽は助けてくれた。
迷った時。悲しかった時。寂しかった時。
辛かった時。悔しかった時。
自分を許せなかった時。
暗闇の中で、一筋の光りさえ見えなかった時。

いつだって人生を併走してくれた。
そんな曲が、沢山あるという幸福。

そんな中でも、ARBというバンド、
石橋凌という人は、いつも私を挑発し続けてくれています。

「一緒にやろうよ」ではなく、
「俺はやる。おまえはどうなんだい?」と
ずっと問い続けてくれています。

新宿LOFT
石橋凌さんが何度もテレビやラジオで
話され続けてきたことですが、
ARBというバンドは、そもそもはアイドル的なバンドとして
売り出される予定だった為、
「政治的な事や社会的な事は一切、歌うな」と
禁じられたそうです。ラブソングを歌えと。

そういう歌を歌いたくて、海外みたいに日本でも
政治や社会を歌うバンドがお茶の間に入っていける、
そういう世界を目指していたのに。

会社の言うことを聞いて、ラブソングばかり歌えば、
それなりに売り出してもらえて、
それなりにお茶の間にも入っていけたでしょう。

でも自分の想いを捻じ曲げることはしなかった。

あっさりと会社を辞めて、ドサ回りの生活が始まり、
京都にも、磔磔や拾得というライブハウスを始め、
学園祭にも来られていて、よく聴きに行きました♪

新宿LOFT
「狂いたくても狂えない奴。笑いたくても笑えない奴。
泣きたくても泣けない奴。
総ての、ロックンロール・キッズに贈ります。」

噛みつくように、叫ぶように、吼えるように、
覚醒しきった目で歌う石橋凌さんは、
今思うと、当時はめちゃめちゃ色んなものと
闘ったはったんですよね。
自分との闘いも含めて。

それは、12~13歳くらいのパンク少女だった私と、
対象は違っても、同じだったのかも知れません。
多くのロックンロール・キッズ、パンク・キッズも。

得体の知れない怒りを抱えて。

新宿LOFT
普段はヘラヘラ教の教祖のように
ヘラヘラしている私ですが(笑)
何か事が起きると、反骨心がムクムクと湧き上がり、
「ああ。私の根っこは、
あのパンク少女の頃のままなのだなぁ。」
と、いつも思い知らされます(///∇//)。

新宿LOFT
最近では俳優さんとしての石橋凌さんしか
ご存知ない方も多く、
ARBも「伝説のバンド」になってしまいましたが、

今も色褪せることなく、問い掛け続けてくれています。
「俺はやる。おまえはどうなんだい?」

磔磔
石橋凌さんの書かれる歌詞、歌う声には、
言霊(ことだま)があると、よく言われていました。

歌詞に書かれた犯罪や社会情勢に、酷似した現実が
後から追い付いてくるからです。

今になりますと、「言霊がある」と言われたことも
よく解ります。

それは「言葉が放たれている」から。

楽屋
古ぼけた写真ですが、昔はカメラマンさんが
写真をくださったりって事も、よくあったのです。
私たちが子供だったからかも知れませんが(笑)。

田中一郎

石橋凌

上の2枚も、ホールでのコンサートの時に、
たぶんプロのカメラマンさんに
いただいた写真。

新宿LOFT
バンドから役者さん、そしてソロと、
転がり続けながら変化し続ける石橋凌さんは、
「表現者」を体現し続けはるのだろうなと
心強く、思います(*´▽`*)。

ARBを脱退された時、一部の方からは「裏切者」と
罵倒されはりましたが、
罵倒した方々も、悲しくて寂しかっただけなのでしょうね。
そのくらい、強い愛情があったというだけのこと。

大阪南港
大阪南港
暑かったなー。熱かった(笑)。

大阪南港
あ。私は当時も、写真を撮るのも撮られるのも
苦手だったので、友達が撮ってくれていました。

大阪南港
小学生の頃に、飛び抜けて大人っぽくて落ち着いた
同級生の男の子がいたのですが、
20代の時に、ARBのコンサートで、
その子とお互いに「あ!」ってなった時(笑)、
「ああ。やっぱりそういう子だったんだな。」と
思いました(笑)。

原田芳雄 田中一郎
松田優作さんや原田芳雄さんとも親交を深めた
石橋凌さんなので、ライブにも登場(笑)。

少し前に写真を整理していて、
そういえばARBや石橋凌さんのことを
ガッツリ書いたことが無かったなーと思って、
書きたかったのです(≧▽≦)。

「変人」という生き方にも書かせていただいた、
梅原猛さんもそうでしたが、

ARBというバンドと石橋凌さんも
確実に、私を作ってくださいました。

そんなリスペクトと愛を込めて、
書き残したかったのかも知れません。




じゅごんろ~どnote

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2019年7月22日月曜日

映画「ダイナー」観てきました♪※ネタバレ注意


平山夢明さんの大好きな小説が映画化された
ダイナー」を、先日観に行ってきましたよ♪

映画を観る前に小説を読み返そうかなー?
とも思ったのですが、
殆どの場合、小説と映画は別物であることが多いので、
今回も「別物」として楽しんできました(*´▽`*)。

見事な蜷川実花さんワールドで、
画面の隅々までこだわり抜かれた映像は
目の情報量が多過ぎて(笑)、目がヨレヨレになりました(笑)。

狂気の殺し屋さんたちを、
役者さんたちが嬉々として演じたはる様子も
楽しかったです(*´▽`*)。

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主人公の「おおば・かなこ」は小さい頃に
母親が姉だけを連れて家を出て行ってから、

”誰も信じない事にした。そうしなければ
生きて来れなかった。
誰も信じなくなったら、誰にも信じてもらえなくなった。
誰にも信じてもらえなくなったら
自分の事も信じられなくなった。”

そんな子。

日々をやり過ごし、覇気のない表情で
必要最低限の仕事をこなす。

ある日、行きたい場所が出来た事で
お金が必要になり、
法外な日給を得られる仕事に応募して、
闇社会と関りを持ってしまうことになります。

ダイナーのオーナーである「ボンベロ」に買われ、
殺し屋専門のレストランで働くことになり、
一瞬の気の緩みが、即「死」に繋がる環境に
身を置くことになります。

それまで「人や自分と向き合うこと」から逃げてきた女の子が、
目の前に突き付けられた「死」を意識することで、
必死で生き延びようとし始めます。

元殺し屋で、現在は最高の料理を出すシェフである
ボンベロや、様々な殺し屋さんたちと触れ合ったり、
血で血を洗う抗争に巻き込まれるうちに、
「可哀そうな自分に浸る自分」を
脱ぎ捨てざるを得なくなります。

元々、お料理を作って、食べて喜んでもらえることが
大好きだったことを思い出し、
ボンベロの様に、「誰かの人生を変える料理」を
提供できるようなお店を持ちたいという
夢まで芽生えます。

いつ殺されるか分からない、死と向き合う日々の中で。

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純愛ストーリーでもあり、青春劇でもあり。

藤原竜也さんの、地面を震わすような声が大好きで、
そこも堪能できました(///∇//)。

長髪を後ろで束ねている役柄で、
後ろ姿は寧ろ女性のような線の細ささえ感じるのに、
蜷川幸雄さんの舞台で鍛え上げられた発声なのでしょうか?

以前、テレビ番組の
世界遺産」のナレーションも担当されていて、
その時の抑制のきいた声も好きでしたねー。

真矢みきさんの、宝塚で鍛え上げられた所作も
カッコ良かったです♪

蜷川実花さんの世界観は、「毒や闇が咲かせる花」
というイメージです。
それでも何処か、温かみや柔らかさ、様式美を
感じますね。

映像のあちこちに仕掛けられた「遊び」も
見つけるのが楽しかったです(*´▽`*)。



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