何度読んでも泣けて泣けて。
鳩尾の辺りが熱くなって、胸がギュッとなって。
書こう。書きたい。書かねば。
そう思っても、どこか混乱してしまって、
1年半後の今日に読んでも、また泣けて泣けて。
昨年の3月28日、水曜日の京都新聞に載っていた記事で、
島の診療所の所長さんへのインタビューです。
===========
イタリア南端のランペドゥーザ島は
チュニジアから100キロ余りの距離にある、
地中海に浮かぶ人口6千人弱の島。
アフリカから一番近い「欧州」として、
命がけで海を渡る難民の方々の希望の島なのですが、
粗末な漁船に沢山の人が乗り込むため、
遭難が絶えません。
2013年10月3日には、島を目前にしてエンジンが故障した漁船で、
救助を呼ぼうとして布に付けた火が燃料に燃え移り、
アフリカ各国から乗り込んでいた人々500人余りのうち、
368名が死亡する事故が起きました。
続々と運ばれる遺体の検死に当たっていた島の診療所の所長、
ピエトロ・バルトロ医師が、ある若い女性の脈を確かめた時に
「生きているぞ」と、はっとします。
蘇生措置がとられた女性の弱かった脈拍が
規則正しく打ち始めた時、
診療所内のスタッフの歓声が上がり、と同時に、
誰もが泣いていました。
「海難事故ばかり注目されるが、難民にとり海を渡るのは
旅路の最後の関門にすぎない。
私たちの想像を絶する最悪の試練は、船に乗り込む前にあるんだ」
ソマリア女性のファドゥマは、
武装した男たちが自宅に押し入って来た時、
夫は必死で命乞いしましたが、
ファドゥマと4人の子供たちの目の前で、
首を切り落とされました。
ファドゥマは出産で脳卒中を起こし半身不随で、
働くことも、体を売ることさえも無理でしたが、
子供たちを養う為に、どんな低賃金でもいいと
サハラ砂漠を越えて、地中海を渡って、島に辿り着きました。
「何という勇気だろう。世界は難民を”数”でしか見ない。
でも、子供の為なら命も危険にさらす。
私たちと同じ夢を持った人々なんだよ」
あるシリア難民の若い夫婦は、3歳の男の子と、
9ヵ月の乳児を連れて船に乗り込みましたが、
遭難して海に投げ出されます。
夫は、乳児を抱えた奥様と3歳の男の子を
左右の腕で支えていましたが、
海が荒れ始め、全員が溺れる危機にさらされた時、
夫は、男の子と繋いでいた手を放します。
奥様と乳児を救うための、とっさの選択で。
男の子の小さな体はゆっくりと沈んでいきました。
夫婦と乳児は生き残りました。
夫婦から話しを聞いたバルトロ医師は、号泣しました。
____________
ランペドゥーザの人々は、難民の方々を抵抗なく
受け入れているようにみえるのは何故なのか?
「ランペドゥーザは漁師の島だ。私の父もそうだった。
漁師というのは、海からやって来るものは
何であれ、拒まない」
バルトロ医師によりますと、地中海の対岸リビアでは
同じ難民でも黒人さんは人間扱いされず、
女性は更に下に見られる。
女性たちの中には、リビアでレイプされ、
妊娠させられた例は数知れず、
難民船の中で出産し、へその緒が繋がったまま、
母子ともに息絶えていたこともありました。
「でもね。この島にたどり着いて精神に異常を来すのは、
男性だけだ」
男性たちは島に到着すると、つらい旅が終わったと思い込みますが、
欧州での再出発までには、更に長い過程があることに
心が折れてしまう人がいる。
「ここへ至るまで、男とは比較にならない
苦難を経てきた女たちは、
そんなことにはへこたれない」
2016年10月3日。ちょうど3年前の事故で、
検死中に生存を確認した女性が、バルトロ医師の前に
救命のお礼に現れました。
スウェーデンで結婚をし、2人目の子供を妊娠中で。
「素晴らしく美しい女性になっていた。
仕事を辞めたいと思ったことが何度もあるが、
こうした経験があるから続けられる」
______________
ランペドゥーザ島は、世界に名だたる絶景の地。
6千人弱の人口が、夏には2万5千人になります。
難民船が到着しますと、直ちに収容センターに運ばれ、
旅行者の目に、その姿が映ることはありません。
楽園と、難民の島という二つの顔を持つ島。
「この二つは決して交わることがない。
まるで欧州の隠喩だ」
と、島を舞台にした記録映画「海は燃えている」を
制作したジャンフランコ・ロージ監督は評します。
闇を見まい、見せまいとする仕組みは
「豊かな国の隠喩」と言い換えてもいい。
「文明社会の真ん中で、難民の悲劇が起きていることを
知ってほしい。
われわれは、この事実に恥じ入るべきだ」
とバルトロ医師は語ります。
============
幼稚園に通っていた頃、お寺が運営されていた園でしたので、
お坊さまがお話をされる時間もあって、
その中で、「アフリカという国では、
日本のように蛇口をひねればお水が出てくるような環境はなく、
あななたちと同じくらいの歳の子供たちも、
井戸から重いお水を運んでいます。」
というようなお話をされたことがありました。
その井戸すら無く、清潔ではないお水を飲んで、
命を落とす子も少なくないということも。
4歳くらいの子供でしたが、日々の中で、
「なんでご飯が余っているとこがあるのに、
ご飯が食べられへん人がいたはるの?」とか
疑問に思っていた頃で、
アメリカのテレビドラマを見て、
食べ終えたお皿に残っている食べ物を、
フォークでゴミ箱に捨てたはる場面に
ショックを受けてた頃でもありました。
アメリカの人は、残り物を食べはらへんのは何故?
食べられる食べ物を、ほかさはるのは何故?
あんなに大きな冷蔵庫もあるのに?(´・ω・`)
食べ物をいただくことは命をいただくことなのに?
なんでなんやろう???
大人になった今も、
賢くて立派な人たちが国を運営したはるはずなのに、
なんでいつまで経っても、ご飯が余っている国と
ご飯を食べられない国があるのか?
誰が創ったものでもないのに、海や山や土地を
取り合うのか?
私には理解できないことばかりです(´・ω・`)。
でも何かしたい。
微々たることしか出来ませんが、
お金を送ることと、自分の心を平和に保つ努力をすること。
闇を、見て見ぬふりをしないこと。
私は、この世界を愛しています。
じゅごんろ~どnote
鳩尾の辺りが熱くなって、胸がギュッとなって。
書こう。書きたい。書かねば。
そう思っても、どこか混乱してしまって、
1年半後の今日に読んでも、また泣けて泣けて。
昨年の3月28日、水曜日の京都新聞に載っていた記事で、
島の診療所の所長さんへのインタビューです。
===========
イタリア南端のランペドゥーザ島は
チュニジアから100キロ余りの距離にある、
地中海に浮かぶ人口6千人弱の島。
アフリカから一番近い「欧州」として、
命がけで海を渡る難民の方々の希望の島なのですが、
粗末な漁船に沢山の人が乗り込むため、
遭難が絶えません。
2013年10月3日には、島を目前にしてエンジンが故障した漁船で、
救助を呼ぼうとして布に付けた火が燃料に燃え移り、
アフリカ各国から乗り込んでいた人々500人余りのうち、
368名が死亡する事故が起きました。
続々と運ばれる遺体の検死に当たっていた島の診療所の所長、
ピエトロ・バルトロ医師が、ある若い女性の脈を確かめた時に
「生きているぞ」と、はっとします。
蘇生措置がとられた女性の弱かった脈拍が
規則正しく打ち始めた時、
診療所内のスタッフの歓声が上がり、と同時に、
誰もが泣いていました。
「海難事故ばかり注目されるが、難民にとり海を渡るのは
旅路の最後の関門にすぎない。
私たちの想像を絶する最悪の試練は、船に乗り込む前にあるんだ」
ソマリア女性のファドゥマは、
武装した男たちが自宅に押し入って来た時、
夫は必死で命乞いしましたが、
ファドゥマと4人の子供たちの目の前で、
首を切り落とされました。
ファドゥマは出産で脳卒中を起こし半身不随で、
働くことも、体を売ることさえも無理でしたが、
子供たちを養う為に、どんな低賃金でもいいと
サハラ砂漠を越えて、地中海を渡って、島に辿り着きました。
「何という勇気だろう。世界は難民を”数”でしか見ない。
でも、子供の為なら命も危険にさらす。
私たちと同じ夢を持った人々なんだよ」
あるシリア難民の若い夫婦は、3歳の男の子と、
9ヵ月の乳児を連れて船に乗り込みましたが、
遭難して海に投げ出されます。
夫は、乳児を抱えた奥様と3歳の男の子を
左右の腕で支えていましたが、
海が荒れ始め、全員が溺れる危機にさらされた時、
夫は、男の子と繋いでいた手を放します。
奥様と乳児を救うための、とっさの選択で。
男の子の小さな体はゆっくりと沈んでいきました。
夫婦と乳児は生き残りました。
夫婦から話しを聞いたバルトロ医師は、号泣しました。
____________
ランペドゥーザの人々は、難民の方々を抵抗なく
受け入れているようにみえるのは何故なのか?
「ランペドゥーザは漁師の島だ。私の父もそうだった。
漁師というのは、海からやって来るものは
何であれ、拒まない」
バルトロ医師によりますと、地中海の対岸リビアでは
同じ難民でも黒人さんは人間扱いされず、
女性は更に下に見られる。
女性たちの中には、リビアでレイプされ、
妊娠させられた例は数知れず、
難民船の中で出産し、へその緒が繋がったまま、
母子ともに息絶えていたこともありました。
「でもね。この島にたどり着いて精神に異常を来すのは、
男性だけだ」
男性たちは島に到着すると、つらい旅が終わったと思い込みますが、
欧州での再出発までには、更に長い過程があることに
心が折れてしまう人がいる。
「ここへ至るまで、男とは比較にならない
苦難を経てきた女たちは、
そんなことにはへこたれない」
2016年10月3日。ちょうど3年前の事故で、
検死中に生存を確認した女性が、バルトロ医師の前に
救命のお礼に現れました。
スウェーデンで結婚をし、2人目の子供を妊娠中で。
「素晴らしく美しい女性になっていた。
仕事を辞めたいと思ったことが何度もあるが、
こうした経験があるから続けられる」
______________
ランペドゥーザ島は、世界に名だたる絶景の地。
6千人弱の人口が、夏には2万5千人になります。
難民船が到着しますと、直ちに収容センターに運ばれ、
旅行者の目に、その姿が映ることはありません。
楽園と、難民の島という二つの顔を持つ島。
「この二つは決して交わることがない。
まるで欧州の隠喩だ」
と、島を舞台にした記録映画「海は燃えている」を
制作したジャンフランコ・ロージ監督は評します。
闇を見まい、見せまいとする仕組みは
「豊かな国の隠喩」と言い換えてもいい。
「文明社会の真ん中で、難民の悲劇が起きていることを
知ってほしい。
われわれは、この事実に恥じ入るべきだ」
とバルトロ医師は語ります。
============
幼稚園に通っていた頃、お寺が運営されていた園でしたので、
お坊さまがお話をされる時間もあって、
その中で、「アフリカという国では、
日本のように蛇口をひねればお水が出てくるような環境はなく、
あななたちと同じくらいの歳の子供たちも、
井戸から重いお水を運んでいます。」
というようなお話をされたことがありました。
その井戸すら無く、清潔ではないお水を飲んで、
命を落とす子も少なくないということも。
4歳くらいの子供でしたが、日々の中で、
「なんでご飯が余っているとこがあるのに、
ご飯が食べられへん人がいたはるの?」とか
疑問に思っていた頃で、
アメリカのテレビドラマを見て、
食べ終えたお皿に残っている食べ物を、
フォークでゴミ箱に捨てたはる場面に
ショックを受けてた頃でもありました。
アメリカの人は、残り物を食べはらへんのは何故?
食べられる食べ物を、ほかさはるのは何故?
あんなに大きな冷蔵庫もあるのに?(´・ω・`)
食べ物をいただくことは命をいただくことなのに?
なんでなんやろう???
大人になった今も、
賢くて立派な人たちが国を運営したはるはずなのに、
なんでいつまで経っても、ご飯が余っている国と
ご飯を食べられない国があるのか?
誰が創ったものでもないのに、海や山や土地を
取り合うのか?
私には理解できないことばかりです(´・ω・`)。
でも何かしたい。
微々たることしか出来ませんが、
お金を送ることと、自分の心を平和に保つ努力をすること。
闇を、見て見ぬふりをしないこと。
私は、この世界を愛しています。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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