最近の「欧米では云々」と語られる時、
それはほぼ、大国を指すことが多いように思います。
欧米ではなく、「米」。(偏見)
なんやろ?
東洋思想といっても、私が知っているのは
インドや中国やその他の国から伝わってきて
日本でアレンジされた仏教的神道的日本思想。
そんな風に思うのですが(独断)
「言葉」ひとつを取っても、
米的思想と日本的思想では根本的に違っているように思います。
「人脈とかターゲットとか集客とかゆー言葉が苦手だ。」
という記事にも書かせていただきましたが
「客層や客筋」のことをターゲット(標的・獲物)
と呼んだり、
「ビジネスライク」という言葉も
「ビジネスのように考えよう」ってことで
自分にも相手にも利益になるように考えようって、
一見、皆にとって良いことのように思えますが
うーーーん。。。???
なんか違うように思えて。(´・ω・`)
別に自分の利益にならへんかっても
応援したい人は応援したいでしょ?
「この人にこうしたい!」って思う時
自分の利益とか、考えへんでしょ?
「こうしてあげるから、こうしてね。」とか
思わへんでしょ?
自分が「そうしたい」と思うからするだけで
それに見返りをいちいち求めるとか
そんなメンドクサイこと考えへんでしょ?
自己犠牲とかじゃなくて「したい!」
という自分の欲求に駆られてするだけでしょ?
「私があなたを好きなんだから、
あなたも私を好きになりなさいよ!きー!」
なんてストーカー的発想にはならへんでしょ?
「そうしたい!」という欲求の方が先立つからか?
自分にとっての「損得勘定」というのは
自分ではよくわからないのですが(;´∀`)
「損得勘定」で近づいてくる人は
だいたいすぐに見分けがつくようになってきました。
で、そういう人に限って人間関係に悩んだはったり
誰かに騙されたとか裏切られたとか
被害者感情が強かったり。
あくまでも私の思う米的思想宗教観なんですけど、
一人か二人の神様だけが絶対で
善か悪か、正か邪という二元論の価値観のように
思います。(独断と偏見)
日本的思想は仏教も神道もあって
ヤキモチ焼きの神様がいたはったり
貧乏の神様がいたはったり。(≧▽≦)
絶対神ではなく、人間っぽくて
フラットに近い関係。(独断と偏見)
森羅万象すべてのものごとに
神様や仏様が宿っていて
八百万の神々がいる。
要するに「何でもあり」の宗教観だと思うのです。
「ゆるい」(≧▽≦)
その「ゆるさ」が日本的思想の根源なのかなー?
とも思います。
私も含めて、「日本人は無宗教だ」と言われますが
ゆる~~~く日常の中に、生活のそこかしこに
神様や仏様が存在するからではないかなー?と。
「絶対にこうでなければいけない」ってことがなくて、
「仏教が嫌やったら神道でもええんちゃう?」的な。
「でも、全部捨てるのはどうかな?」的な。
そういう「ゆるさ」って変化にも強くて、
「自分で考える・決める」という幅もあって
実は今の時代にも向いているのではないかな?と。
「自分の価値観と合わないものは
全部、悪だ!!認めない!!」っていうのじゃなくてね。
「自分にとっても相手にとっても利益になる」という
ビジネスライクな考え方も良いでしょうが、
「見返りを求めない」という仏教的思想も
楽ちんですよ。(≧▽≦)
人間関係で悩んだはる方の多くが
人様を自分の思うようにコントロールしたがってたり
自分の価値観が「絶対」だと考えたはったりします。
それなのに「独自の価値観」ではなく、
「大勢の人が認める価値観」を良しとします。
要するに己(おのれ)がいない。
こういう方って日本的思想と米的思想の間で
苦しんだはるように見えてしまうんですよね。
二元論がお好きだし。(独断と偏見)
まぁ、私のようにあれもこれもというような
節操の無い幼虫に言われたくないと思いますが。(///∇//)
損とか得とか利益よりも
自分が本当はどうしたいのかって事を優先すると
もっと楽になるではないかなー?と思っただけです。
苦しい事が悪い訳じゃないですけどね。
苦しんだ先にしか見えないものもあるので。
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それはほぼ、大国を指すことが多いように思います。
欧米ではなく、「米」。(偏見)
なんやろ?
東洋思想といっても、私が知っているのは
インドや中国やその他の国から伝わってきて
日本でアレンジされた仏教的神道的日本思想。
そんな風に思うのですが(独断)
「言葉」ひとつを取っても、
米的思想と日本的思想では根本的に違っているように思います。
「人脈とかターゲットとか集客とかゆー言葉が苦手だ。」
という記事にも書かせていただきましたが
「客層や客筋」のことをターゲット(標的・獲物)
と呼んだり、
「ビジネスライク」という言葉も
「ビジネスのように考えよう」ってことで
自分にも相手にも利益になるように考えようって、
一見、皆にとって良いことのように思えますが
うーーーん。。。???
なんか違うように思えて。(´・ω・`)
別に自分の利益にならへんかっても
応援したい人は応援したいでしょ?
「この人にこうしたい!」って思う時
自分の利益とか、考えへんでしょ?
「こうしてあげるから、こうしてね。」とか
思わへんでしょ?
自分が「そうしたい」と思うからするだけで
それに見返りをいちいち求めるとか
そんなメンドクサイこと考えへんでしょ?
自己犠牲とかじゃなくて「したい!」
という自分の欲求に駆られてするだけでしょ?
「私があなたを好きなんだから、
あなたも私を好きになりなさいよ!きー!」
なんてストーカー的発想にはならへんでしょ?
「そうしたい!」という欲求の方が先立つからか?
自分にとっての「損得勘定」というのは
自分ではよくわからないのですが(;´∀`)
「損得勘定」で近づいてくる人は
だいたいすぐに見分けがつくようになってきました。
で、そういう人に限って人間関係に悩んだはったり
誰かに騙されたとか裏切られたとか
被害者感情が強かったり。
あくまでも私の思う米的思想宗教観なんですけど、
一人か二人の神様だけが絶対で
善か悪か、正か邪という二元論の価値観のように
思います。(独断と偏見)
日本的思想は仏教も神道もあって
ヤキモチ焼きの神様がいたはったり
貧乏の神様がいたはったり。(≧▽≦)
絶対神ではなく、人間っぽくて
フラットに近い関係。(独断と偏見)
森羅万象すべてのものごとに
神様や仏様が宿っていて
八百万の神々がいる。
要するに「何でもあり」の宗教観だと思うのです。
「ゆるい」(≧▽≦)
その「ゆるさ」が日本的思想の根源なのかなー?
とも思います。
私も含めて、「日本人は無宗教だ」と言われますが
ゆる~~~く日常の中に、生活のそこかしこに
神様や仏様が存在するからではないかなー?と。
「絶対にこうでなければいけない」ってことがなくて、
「仏教が嫌やったら神道でもええんちゃう?」的な。
「でも、全部捨てるのはどうかな?」的な。
そういう「ゆるさ」って変化にも強くて、
「自分で考える・決める」という幅もあって
実は今の時代にも向いているのではないかな?と。
「自分の価値観と合わないものは
全部、悪だ!!認めない!!」っていうのじゃなくてね。
「自分にとっても相手にとっても利益になる」という
ビジネスライクな考え方も良いでしょうが、
「見返りを求めない」という仏教的思想も
楽ちんですよ。(≧▽≦)
人間関係で悩んだはる方の多くが
人様を自分の思うようにコントロールしたがってたり
自分の価値観が「絶対」だと考えたはったりします。
それなのに「独自の価値観」ではなく、
「大勢の人が認める価値観」を良しとします。
要するに己(おのれ)がいない。
こういう方って日本的思想と米的思想の間で
苦しんだはるように見えてしまうんですよね。
二元論がお好きだし。(独断と偏見)
まぁ、私のようにあれもこれもというような
節操の無い幼虫に言われたくないと思いますが。(///∇//)
損とか得とか利益よりも
自分が本当はどうしたいのかって事を優先すると
もっと楽になるではないかなー?と思っただけです。
苦しい事が悪い訳じゃないですけどね。
苦しんだ先にしか見えないものもあるので。
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